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言葉についてのあれこれ

先日とある著名人がXで、連日のイランとイスラエルが戦争になる可能性を示唆するニュース(*ニュース記事は4月4日時点での情報になります)に「核戦争になるぞ」とだけキャプションして引用ポストするというようなことを何度か繰り返されていて、本人の意図が何なのかとは別に、「核戦争」という言葉自体が持つ力の使い方に対して、正直ちょっとモヤっとした気持ちになっていました。

自分の性質の問題もあるのでしょうが、SNSやネット記事などを見ていると、その文脈や内容自体より、その言葉自体が持つ影響力のほうに引っかかってしまうことが、私の場合多々あります。

これは私の個人的な、何というか生活する上で大事にしていることでもあるのですが、言葉というのは発した瞬間に何らかの力が宿ると思っている部分があるんですよね。しかしこうした話というのは、何となく話しにくさがあるのも否めません。

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「言葉に力が宿る」といえば、かつて『水からの伝言』という、水(氷)に感謝の言葉などを伝えると結晶が美しく変化するとした本が話題になったことがありました。

正直、真偽は置いておいても、個人的には、あまり良い表現とは思いませんでした。かなり批判もされたと記憶しています。なぜ良いと思わないかを説明すると、かなり文量が要るのでここでは割愛しますが、世間的には、その一件があったせいで、「言葉に力が宿る」などというとあまりいいイメージが持たれなくなったように感じます。

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一方、先日観た動画で、サイエンスライターの久野友萬氏がこんな話を紹介していました。


人間の意識というのは、脳科学的には脳の神経にあるとされていますが、その常識に異論を唱える説があるそうなのです。

飽くまでも”異端な学説”とした上でですが、ライナス・ポーリングの「水相仮説」という説が発端となり、脳神経学者の中田力氏が再評価したことで、研究者が増えつつあるということです。そもそも前述の『水からの伝言』が否定された大きな理由が「水に伝達機能があるわけがない」という部分なわけですが、その水に構造が見つかったとする説です(驚)。

人間の体の多くは水分であり、脳も80パーセントが水分でできているといいますが、実際は水にも結晶構造を持つものがあり、それがいわば電気信号のように働くことで情報の伝達が可能なのでは?という説なんだそうです。

これには正直驚きましたが(というかにわかには信じられませんが)、動画内でも触れられていますが、例えば麻酔が人体に効くメカニズムにしてもまだ分かっていないそうで、まだまだ未知の領域は広いのだと感じてしまいます。

(久野によるの関連記事に詳細があります↓)
意識は水の中に宿る!? 天才脳科学者による最先端「脳渦理論」の世界/久野友萬|webムー 世界の謎と不思議のニュース&考察コラム (web-mu.jp)

ライナス・ポーリングという人はノーベル賞を二度も受賞されているので、あながちトンデモなだけの話ではないのかもなぁ?とちょっと思い始めてもいます。

そもそも科学というのは、発端はマッドな科学者の着眼があり、批判にさらされながら、やがてそれが常識となってゆくことの繰り返しなので、個人的には、(特に社会的に害が無いのであればですが)「事実だったら面白いなぁ」という程度にとどめておきたいと思っています。

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話が逸れましたが、昨今では、冒頭で触れたようなポストだけでなく、ネットニュースのタイトルにしても、動画投稿サイトのサムネイルにしても、とにかく目にした人の恐怖感や、欲望を掻き立てられるような刺激の強い言葉、露悪的な言葉が恣意的に使われることが多く感じます。

人の感情の中でも、恐怖感というのは、驚くほどの早さで人の心を支配してしまう力があります。また、怒りや悲しみなどの負の感情は、一度支配されてしまうと、なかなか浄化するのが難しいと感じます。

このことを逆手に取るように、メディア/発信する側は、執拗に負の感情に薪をくべようとして来ます。そのほうが効率的に収益に繋がるからです。また、カリスマ型のサロンや団体などは、集客の方法論として、カルト的な要素を持たせることで求心力を増幅させて、顧客からの恒常的な拝金システムを構築させようとする場合もあります。

こうした行為は、個人的には、人の営みの中でもかなり醜悪な部類と思っていますが、残念ながら、こうした流れは、今後も簡単には止まらないだろうと思います。

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負の感情が心を支配するスピードの話をしましたが、そもそも感情というもの自体が、はっきりとした形の無いものですし、なぜ悲しいとか嬉しいとか思うのかも、説明するのが難しい問題です。

そもそも人間という存在は、物質的側面、非物質的側面、両方を持った存在だと思いますし、だとすれば、この世界も、物質的側面と非物質的側面、どちらも分け難いものと捉える方が自然に思えるのです。

ネットで発信された言葉は、物質空間では単なる二次元的な文字情報に過ぎないですが、非物質空間では、果たしてどんな意味を持った、どんな価値のものなのか。

それは今のところ私には分かりませんが、自分が打った文字なので、それらがどこを経由して、どこへ行きつくのかくらいは、考え続けたいものだと思います。

ここまでお読みくださり、ありがとうございました!



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