#17. 答えがないから難しい?面白い?
noteのホームページを開き、「テキスト」と書かれた鉛筆のアイコンをクリック。真っ白な画面に「記事タイトル」というグレーの文字だけが現れる。
毎日、軽く自分を奮い立たせて、この鉛筆のアイコンを押している。真っ白なキャンバスが、「テーマはなんでもいいから、自由に描いてごらん」と言っているみたい。「『塗り絵』なら得意なんですが……」と、リトルなわたしが胸の奥で縮みあがりながら、おずおずと一文目を打ち込む。
昨日、藤原さん(@fujiwawriter)とラボトークをしていたとき、Webライターラボでの添削講義の話になった。
インタビュー記事の難しさを痛感していた私は、「インタビュー記事の添削って、難しかったのでは?」と質問した。ところが藤原さんは、「インタビュー記事は答えがないから、楽しかったですよ」と言う。
私は「答えがないから、難しかったでしょう」という意味で言ったのだけれど、「答えがないから、楽しかった」との返答。まったく逆の考えだったにも関わらず、「なるほど」と、納得している自分に気づく。
中学校教員をしていたとき、新たな校務分掌(学校運営の役割分担)を割り当てられるのが、恐怖だった。学校現場の引き継ぎは、あってないようなもの。前任者が移動して学校に居なかったり、居ても忙しすぎてまともに教えてもらえなかったり……。とにかく無難に乗り切りたい私は、前年度をトレースするような「答え」を探して右往左往していた。
あるとき、尊敬する先生に、「教えてもらえないなら、勝手にして良いってことだよ。ラッキーじゃない?」と言われたことがある。「前年はこうだった、とか、いちいち言われなくて済むよ」と。そのポジティブさに感心しながらも、私は相変わらず「いやいや、私はそういうタイプではないのです。ごしょうですからテンプレをください。マニュアルをください」と、心の中で嘆いていた。
前年度どおりにすれば、平均点は取れる。大失敗もしないし、したとしても誰も責めない。私が考えたんじゃないんだから、私自身は批判されない。
こんな性格は変わらないんだと思っていた。ポジティブ怪獣みたいな人は特殊で、「正解が欲しいのが普通でしょ」と。
だけど、最近は少しだけ「正解がない=面白い」の感覚、わかってきた気がする。
先月まで受講していた、さとゆみゼミでの経験が大きかったと思う。ゼミの課題は、「初めて」の連続だった。最初は、さとゆみさんからの添削もろとも、ゼミのメンバーに見られるのが怖かった。しかし、課題を提出するたび、さとゆみさんからの添削(問い)に頭を巡らせるたびに、大変な発見があった。視力が0.03から1.0くらいまで上がったみたいに、自分自身や周りのことががくっきりと見えるようになった。
「正解とされるもの」があって、そのままトレースするだけなら、「やり終えた感」は残るかもしれない。でも、新しい景色がみたいなら、答えを探して彷徨ってみるのも良いな、と思うようになった。
塗り絵も良いけど、たまには白いキャンバスにゼロイチで描くのも面白い。最初の一筆を入れるのは怖いけど、試行錯誤に描き切ったからこそ手に入る、タカラモノがあるはず。
noteの真っ白な画面を見て、そんなことを考えた。
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