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大谷選手の「左利き用のグローブ」に思うこと

我が市にも、大谷翔平選手からの寄贈グローブがやってきた。勤務している学校教育課に届いたのは、ニューバランスのロゴが入った大きなダンボール。人が入れそうなくらい、でかい。

「大谷選手が、全国の小学校にグローブを寄贈する」とニュースが流れて、職場はちょっとした騒動になった。市民の方や他の課の職員から「いつ届くの」と幾度ともなく聞かれ「順番に送られているはずですから。」と答える。子ども達だけじゃない。多くの大人たちも自分の住む土地に、大谷選手からのグローブが届くのを今か今かと待ち構える。

段ボールの中には、頑丈に梱包された箱が14個。市内にある小学校ごとに分けられていた。

箱の中に入っていたのは、3つのグローブ。1つは低学年用の小さなグローブで、残り2つが高学年用だ。高学年用のそれは、右利き用と左利き用だった。それぞれのグローブに、名刺サイズくらいのタグが付いている。大谷選手の写真と「野球しようぜ」のメッセージ。

「野球を楽しんで欲しい」大谷選手からの特別な贈り物。そこに入っていた、左利きのグローブ。右利きである彼が、贈り物のグローブのひとつを「左利き用」にした。

ある調査によると、日本では右利きが88.5%、左利きが9.5%、両利きが2.1%の割合だそうだ。

昔に比べると、左利きの割合は増えたような気がする。「矯正しなくていい」という最近の風潮で、目立つようになっただけかもしれない。

生まれつき右利きの私は「左利き」には少し憧れがある。「左利きはクリエイティブだ」なんて噂を信じて生きてきたし、少ないサンプルを照らし合わせても例外ではない。小学校時代の友達「草ちゃん」も左利きで、プロの漫画家みたいに絵がうまかった。

私にとって「左利き」は、それくらいのイメージだった。クリエイティブで、器用な人たち。ちょっと、羨ましい。

10年ほど前、インターナショナル幼稚園で働いていた。ある日、レッスン用のクラフトの準備をしようと、引き出しからハサミを手に取った。赤や黄色の画用紙を半分に切るだけの単純な作業。

画用紙にまっすぐ刃を降ろす。ところが、ハサミの刃は窮窟そうに画用紙を挟みながら、鈍く滑る。画用紙にはひどい折り目がつき、少し破れてしまった。親指の付け根も、なんだか痛い。

"It's for lefty." 「それ、左利き用だよ。」と、側にいたオーストラリア人の同僚が教えてくれた。

右利きの世界と、左利きの世界。そういうものがあるとしたら「じゃない方の世界」を垣間見たような出来事だった。自分にとっての当たり前は、当たり前じゃないという気づき。

日本人の約9%が左利きだとして、野球が好きな子どもに絞ると、さらに少ない人数になるだろう。何人だろうが「左利きで野球が好きな子ども達」にもグローブを。自分の世界が「当たり前じゃない」と知っている人だ。

箱の中に、ちょこんと入っていた左利きのグローブ。各小学校では、校長先生によるお披露目があるだろう。「グローブのひとつは左利き用です。」そう聞いた瞬間、大谷選手の思いに心打たれる子がいるはずだ。

私は野球をやらない。でも「じゃない方の世界にもっと、優しくなろうよ」そんなメッセージを受け取った。


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