#22. あなたとわたしの『吾輩の辞書』
三浦しおんさんの『舟を編む』を読んでいる。
主人公の馬締光也(まじめみつや)が、出版社の営業部から辞書編集部に引き抜かれる。そこで新しい辞書『大渡海』の完成に向け、奮闘する話だ。
読んでいる……のだが、進まない。
物語に出てくる言葉の意味が気になって、一つひとつ『広辞苑』で調べているからだ。たとえば、「膨大」と「莫大」の違い。「文楽の大夫が義太夫を語る」なんて、たった12文字に知らない言葉が3つも。もはや外国語。
真剣な辞書作りに、不器用な恋も絡む物語。もどかしい展開に好奇心をくすぐられつつ、新しい言葉と出会い、知り、考える。この本は読み急がず、じっくり楽しもう。
昨日も、辞書を脇に置いて、辞書をつくる本を読んでいた。すると、90ページ目で、ある一節に出会う。
そういえば……。
Xで「わたしは挫折はしたことがあるが、失敗はしたことがないと思う」と、ポストしたときのことを思い出した。
投稿した直後、ゼミ仲間からの質問リプがあった。すぐにその質問に回答するのだが、どうも噛み合わない。事例を出して説明しても、「それは挫折ではないですね」的なリプが返ってくる。なかなか「挫折」と認めてくれない……。うーーーーん。
辞書での「挫折」の定義はどうか。『広辞苑』には例文も含め、3行ほどの説明が載っているだけ。
それだけ?「なわけない」、と思う。
そのとき、わたしの中にある『吾輩の辞書』の存在に気づいた。そこには、こう書いてある。
わたしにとって、「挫折」という言葉に「ネガティブさ」はない。きっと、ゼミ仲間にも『吾輩の辞書』があって、そこには違う内容が書いてあるんだろう。
言葉の意味を調べるなら、辞書で調べるのが最適だ。
しかし、たった数行で、言葉が持つ「すべて」を説明できるわけがない。『舟を編む』の馬締が言うように、辞書は完成されていない。だとしたら、意味を補う「その他」の部分は、一人ひとりの頭の中にあって、それぞれ違うんじゃないか。
しかも、わたしたちの『吾輩の辞書』は、液体みたいに流動的なんだと思う。新しい経験や人に出会うたび、新しい意味が加わったり古い意味が修正されたり。今回の例でいうと、わたしの『吾輩の辞書』に、「挫折:ネガティブな印象を持つ人もいる」の1行が加わった。
相手の考えを理解できないとき、「あなたとわたしの『吾輩の辞書』には、きっと違うことが書いてある」と思えばいいのかも。でも本当に理解し合いたいなら、なんて書いてあるのか探ってみてもいい。
あ、このゼミ仲間とは、すごく仲良しです。こんな話もできる仲間がいるって、最高で幸せ。
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