見出し画像

「ローカリズム宣言(著:内田樹)」から読む”自らの価値観を持つことを放棄した現代人”について

労働者は自ら望んで、世界の外に目を向けない事を選択しています。

「会社とはその外で資本家が、山分けしている事を気付かないように、精巧に設計されている。例えば、査定や昇給、ランキングなどを用いて、内輪の中での立ち位置に意識が向くように仕組まれている」

 昨日、このような話をしましたが、一方で内田樹先生の「ローカリズム宣言」では以下のような一節があります。

たとえ地元に良い仕事があっても、若者は都市へ行きたがります。理由は「自分の能力を適切に評価される」ことを望むからです。
キーワードは評価です。客観的で、精度の高い評価。それを人々は切望しています。
現代の日本の若者は、子どものころからずっと学校の成績や偏差値で査定されて来ました。それが大学を卒業する辺りからわかりにくくなります。自分の社会的な格付けや立ち位置が見えにくくなる。
そのアイデンティティの揺らぎが彼らを客観的な査定に向かわせる。

 アイデンティティの揺らぎ、つまり自分で物差しを作る苦しみから逃げ出した結果、誰かが作り出した「競技」に参加する事を望むのです。
 自分は何を追い求めているのか、自分にとって何が大切なのか、それに向き合うのは確かに辛いです。なぜなら、その答えを誰も教えてくれないし、教えようが無いから。
 私達は物心ついた時から、成績や偏差値で評価されて来て、テストで良い結果を取れば周りが褒めてくれるし、悪い点を取れば叱られる、そんな延々と続くループの中にいると、評価の物差しは誰かが与えてくれるという事がその人の奥深くに内面化されます。

 大学に入ればモラトリアム期間がありますが、そこで己と向き合う人はほとんどいません。そうこうしている内に就活がはじまり、就職偏差値の高い順から面接を受け、内定をもらった中で一番就職偏差値が高い会社に入り、その会社では出世する事を目標に頑張る。

 そのような人は己の価値観を作り出す事から逃げ続けているだけです。従って外の世界に意識を向けないようになっている会社というのは、資本家と「自分の物差しを作り出す事から逃げ出した労働者」との、共犯の産物でもあるわけです。

 査定や昇進に一喜一憂する前に、己が重きを置くものはなんなのか、今一度考えてみませんか。


この記事が参加している募集

#読書感想文

188,500件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?