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横浜銀蝿からのメッセージソング

それまでの横浜銀蝿の歌詞はロックンロール、クルマ、海、恋、横浜、土曜の夜がどんなに楽しいものなのかを表現するのが中心で、まだガキのオレたちはそんな銀蝿の提示する楽しいであろう事象を想像し楽しんでいた。

横浜銀蝿の社会的現象は、全国のツッパリ・不良の憧れであったことは周知の事実だ。銀蝿のスタイルでもある夜の遊び方の指南はとびきりいかしていたし誰もが憧れた。

銀蝿や不良への憧れとしてひたすら追っかけるスタイルだったファンに対して、銀蝿のメンバーはある時期から、男として、人として生き抜くための言葉を発して、兄貴や先輩、さらには先生としての要素を強めていった。

そう、最初は単にワルに憧れて銀蝿に夢中になっていた若者に対して、銀蝿は「お前らそんなもんじゃないだろう」「やればできるんだ」というメッセージを突きつけてきたのだ。

落ちこぼれのレッテルを貼られ、どうせオレなんて… そんな諦めに近い気持ちで、とにかく先のことなど考えない。目の前の楽しいことが全てだった若者が多かった時代に、銀蝿は自らのツッパリスタイルを逆手にとって、「こんなオレたちでもここまでこれたんだ。お前らだってやればできる!」と喝を入れてくれた。

ではそのポイントとなった時期はいつなのか?それは1882年10月リリースの6枚目のシングル「あせかきベソかきRock'n Roll run」だったと思う。

細かいことを書くと、この「あせかきベソかきRock'n Roll run」の半年前にリリースされていたアルバム「ぶっちぎり とっぷ」では今までと違った切り口とサウンドを鳴らし、それまでのスタイルから幅を広げてみせていたから、すでにその予兆はあったのかもしれない。方向転換というよりも一気に間口を広げてきた印象だ。

当初デビューから2年間でシングル1位、アルバム1位、武道館満タンを実現し解散することを公約として横浜銀蝿がスタートしたものの、シングル1位だけが獲れずにいた彼らが活動を延長して勝負を賭けようと満を持して用意してきたのがこの「あせかきベソかきRock'n Roll run」だ。個人的にはこの曲が横浜銀蝿初のメッセージソングだと思っている。

なぜ、この曲が横浜銀蝿にとって最初のメッセージソングなのか?もちろん、それより前から横浜銀蝿からのメッセージが込められた曲はあった。しかしそれは曲中の一部分にメッセージが込められるというスタイルだった。この「あせかきベソかきRock'n Roll run」は一曲を通してメッセージが込められている。それもとんでもなく熱いメッセージ。

メッセージソングといっても色々なパターンがある。聴いてるものを勇気づける応援ソング、自分はこうありたいと言い放つ宣言ソング、反戦ソングに代表される政治的なメッセージソングもあるだろう。人によってメッセージソングの解釈は違うだろうが、自分にとってはこの「あせかきベソかきRock'n Roll run」はかなりクオリティの高いメッセージソングだと思っている。


  いつだって Nice day
  過していたくて all night
  とばしてきたのさ Baby
  Baby Rock'n Rollで

  死ぬまで shining
  キラめいているぜ my heart
  しびれちまって only
  only Rock'n Roll に

  俺たちゃいつでも全開さ
  あせかきベソかきRock'n Roll run
  あれこれ悩むその前に
  声をからして Ah ha ha

  Hey! Rock'n Roll Come on! Rock'n Roll
  Funky! Rock'n Roll いつまでも
  Hey! Rock'n Roll Come on! Rock'n Roll
  It's only Rock'n Roll Tonight!!

  一度しかない人生さ
  あせかきベソかきRock'n Roll run
  死にもの狂いで行くだけさ
  息をきらして Ah ha ha

  いつだって Nice day
  過していたくて all night
  とばしてきたのさ Baby
  Baby Rock'n Rollで

  涙も Good-bye
  汗にとかせば Happy
  それが俺達の dreamy
  dreamy Rock'n Rollさ

  俺たちゃいつでも全開さ
  あせかきベソかきRock'n Roll run
  熱いビートに身をまかせ
  髪をゆらして Ah ha ha

  Hey! Rock'n Roll Come on! Rock'n Roll
  Funky! Rock'n Roll いつまでも
  Hey! Rock'n Roll Come on! Rock'n Roll
  It's only Rock'n Roll Tonight!!


今こうやって改めて歌詞をしっかり読んでみると、この時の横浜銀蝿の熱い心意気がビンビンに伝わってくる。

2年で目標を達成して解散するという当初の計画が実行できずとも、そこまでの過程にはメンバーは満足していたに違いない。いつだって彼らが全開で頑張ってきたことが、この曲の前半の歌詞に表れている。ここまでの自分達の頑張りには一切の後悔はなかっただろう。

しかし、ただ一つ成し遂げられなかったシングル1位を達成するまでは諦めないという強い想いで活動延長を決める。一度しかない人生、死にもの狂いでいくだけさと走り続けることを後半の歌詞で宣言している。

これは、「オレたちは走り続ける」という宣言をした紛れもないメッセージソングだ。そして、この曲の歌詞の素晴らしいところは、横浜銀蝿の一方的な宣言ソングではなく、聴いているものの心を揺さぶり、背中を押してくれる内容なのだ。

「オレたちは諦めない。走り続ける」この一方的にも見えるメッセージだが、実は「お前たちも諦めるな。走り続けろ」と言われているように感じるようになっているのだ。

もちろんこれはオレの勝手な考察で、実際にこの歌詞を書いた翔くんの本心は分からない。しかし、この当時横浜銀蝿の活動に、青春時代真っ只中の若者たちが影響を受け、勇気をもらっていたことを考えると、やはり翔くんはこの曲の歌詞に、自分達が目標をやり遂げようとする意気込みと同時に、聴いている若者たちへの熱いメッセージが込められていたと感じずにはいられない。

この曲を境に、今までの「楽しきゃいいじゃん!」という想いが、「何か一つ、やりたいことをやり遂げる」という想いを横浜銀蝿を通して強く持ったのは間違いない。少なくともオレ自身はそうだ。横浜銀蝿には真剣になれるRock'n Rollがあった。自分にもそんな夢中になれるものが欲しくなったのがこの時だったのだ。

横浜銀蝿はこの活動延長をした後、若者たちに対するメッセージが多くなった。歌詞は相変わらず楽しくてハッピーな内容が多かったが、インタビューやテレビ・ラジオ、自身のメッセージ本での発言は明らかに若者たちに対する叱咤激励が増えた。

「オレたちでもできたんだ。お前らもできる!」そんなメッセージを発信するためには、自分たちがまずは手本とならなければいけない。実際、横浜銀蝿は活動を通して手本になってみせたし、みんなが憧れ、自分もやるしかない!と燃えたものだ。さらに言うと、目標を達成した横浜銀蝿だからこそ、このメッセージは成立する。横浜銀蝿からのメッセージを胸にまだまだ走り続けなくてはならないと今改めて思う。

確か「夜のヒットスタジオ」だったと記憶する。83年12月31日まで活動を延長すると語り、この「あせかきベソかきRock'n Roll run」を演奏した横浜銀蝿。とさかのようなリーゼントを左右に振って歌う翔くんが死ぬほどカッコ良かったのを覚えている。圧倒的なドライブ感に最高のメロディー、この曲を俄然キャッチーにしているJohnnyとTAKUによる掛け合いのコーラス。何もかもがいかしていた。そこに加えて翔くんの熱い想いのこもった歌詞とボーカル。これを最高と言わず何が最高なのだろうと思うほど、完全にこの曲にノックアウトされた。

「諦めない」という人生に於いて大切なことを「あせかきベソかきRock'n Roll run」を聴いて、知らず知らずのうちに教えられていた。そして結果的にこの曲で念願のシングル1位を獲得したのだから、有言実行をやり遂げる横浜銀蝿はなんてかっこいい男たちなのだろう。

  死ぬまで shining
  キラめいているぜ my heart
  しびれちまって only only Rock'n Roll に

Rock'n Rollにしびれた土曜の夜の天使たちは、今でも横浜銀蝿40thとしてギンギンに輝きまくっている。いつまでも銀蝿のRock'n Rollは止まらない。


it's only Rock'n Roll

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