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人生初コンサートは日本武道館だった

どんなことでも人生初のものは思い出として強烈に残る。オレにとって人生初でハマったアイドルは銀蝿一家のマスコットガール岩井小百合だ。そして人生初のコンサートは岩井小百合ファーストコンサート。場所はあの日本武道館である。

そう、岩井小百合はオレにとっていくつもの人生初をもたらしてくれたスーパーアイドルだったのだ。しかし、人生初のコンサートだというのに実はあまり記憶がない。今でも大切に保管してあるチケットを見ると、チケット代が異様に安い!席は上の方の端っこでお世辞にもいい席とは言えない席だったことははっきりと覚えている。

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このコンサートは1983年9月24日に開催されているので、あれから37年も経っているため記憶がかなり薄れているのもある。しかしそれよりもあの時は初めてのコンサートということで気持ちが高揚しすぎていた。田舎町から都内へ出かけるのもまだほとんど経験していない年頃だ。会場へ向かうだけでドキドキした。さらに日本武道館のデカさに驚き、ステージに組まれたお城のセットに驚き、コメ粒くらいの大きさだったが本物の岩井小百合が歌を歌っている現場にいるという現実に興奮し、とにかく気持ちが舞い上がっていた。そのおかげで実際のコンサートの記憶がないのだ。一体どうやってチケットを入手したのか?同級生の友達何人かで行ったはずだが誰と行ったか記憶がない。

もちろん、岩井小百合がお城のセットから登場した瞬間や「ドキドキ♡のバースデーパーティー」で銀蝿の4人との共演などポイントポイントは忘れようがないくらいに記憶にある。でもどんなMCをしたのかとか細かいことは全く記憶がない。そこで、先日レコードをCD化して何十年ぶりに聴くことができた「岩井小百合in武道館」を聴きながら、記憶がほとんどないくせに無謀にもコラムを書いてみたい。

コンサートは行進曲のようなSEで幕を開ける。一曲目はもちろんデビュー曲の「ドリーム ドリーム ドリーム」。ジャケット写真で着ていたウエディングドレスを着て登場だ。あの時は全く気がつかなかったけど、曲の途中涙をこらえて声が上ずっているじゃないか。それを聴いて泣きそうになるオレ。初めてのコンサートで武道館という当時日本で一番大きな会場での最初の曲だ。緊張もしただろうし感動もしたことだろう。なんたってこの時の岩井小百合は15歳になったばかりだ。とんでもなく肝が座っている。ちなみにこの時15歳1ヶ月でのソロコンサートは日本武道館史上最年少記録だ。

CDを聴いていて思い出したが、この当時の銀蝿一家のコンサートは笛が定番だった。リズムに合わせてピーピピ!ピーピピ!と笛を吹いたのは気持ちのいい体験だった。コールというほどのものはなかったと思うが、ドリーム!ドリーム!ドリーム!なんて叫んでいたのは覚えている。この一曲目の高揚感は今でもはっきり覚えていて、今でも「ドリーム ドリーム ドリーム」を聴くとゾワっとしてあの時の感覚が蘇る。

「みなさーん、こんにちは!岩井小百合です!」と挨拶して最初のMC。よくもこんなにしっかりと喋れるものだと感心する。何度も言うが15歳の女の子だ。どれだけの強心臓なんだと不思議に思うほどだ。ちなみに、まるで大冒険のような感覚で日本武道館へ向かい、舞い上がりすぎてコンサートの記憶がまるでないオレは岩井小百合と同学年の同い年という…なんとも情けないかぎりである。

MCを挟んでシングル曲のB面の曲「いちごの片想い Part II」「初恋」を歌う。さすがの強心臓、この辺ではすっかり緊張もほぐれて声もしっかり出ている。岩井小百合は幼少の頃から地元の街ののど自慢大会に出まくっていて、のど自慢荒らしと言われていたそうだから、人前で歌うのは慣れたものだったのだろう。とはいえここは日本武道館だ。これだけしっかり歌えるのは本当に凄い。

学校で習ったという英語の歌を披露。曲はカーペンターズの「Yesterday Once More」。それにしても学校で習ったというのがいい。この時はまだ中学三年生。初々しいにもほどがある。

ここで銀蝿一家メドレーを披露する。メドレーで歌った曲順は「ツッパリHigh Scohool Rock'n Roll(登校編)」(横浜銀蝿)→「ぶりっこRock'n Roll」(紅麗威甦)→「Rock'n Roll恋占い」(麗灑)→「ロアーズ」(アキ&イサオ)→「男の勲章」(嶋大輔)→「お前がまぶしすぎて」(矢吹薫)→「On the Machine」(杉本哲太&LONELY-RIDERS)→「桃子の唄」(桃太郎)→「ジェームス・ディーンのように」(Johnny)→「横須賀BABY」(横浜銀蝿)→「ドリームドリームドリーム」(岩井小百合)。一曲一曲は短いが完璧すぎるメドレーだ。しっかりと銀蝿一家を網羅している。銀蝿一家の影の功労者アキ&イサオの曲まで入っているところがいかしている。

ライブの後半戦は岩井小百合シングル曲の連発。ここら辺はもう本当に記憶がない。毎日聴いていたシングル曲を生歌で聴いているのだ。完全に舞い上がっていた。「いちごの片想い」では、笛やコールで盛り上がりまくっている。これを現場でやっていたんだと思うとちょっと胸が熱くなる。「恋♡あなた♡し・だ・い!」では、トゥナイト!トゥナイトベイビー!あなたしだい!とコールが凄い。きっと死ぬほど楽しかったんだろうなとニヤけてしまう。そして「ドキドキ♡のバースデーパーティー」では横浜銀蝿の4人が登場だ。この瞬間ははっきりと覚えている。初めて生の横浜銀蝿を見た瞬間だ。銀蝿の4人がレコードと同じように小百合ちゃーん!とコールするわけだが武道館に集まったファンの沸騰度はこの時が頂点に達していたと思う。岩井小百合本人も銀蝿のメンバーが出てきて心強かったのだろう。弾けまくっていて、もう緊張のかけらもない。

以前のコラムで書いたが、岩井小百合は銀蝿一家のマスコットガールとして芸能界に飛び出した。あの時の銀蝿一家の勢いも凄かったがその銀蝿一家の勢いだけではあの時の岩井小百合の活躍は不可能だった。本人の才能や努力、そして岩井小百合をナンバーワンにしようという周りのスタッフと全てのファンに支えられ、デビューから9ヶ月、あっという間にここまできたのだった。そんな大切な瞬間を横浜銀蝿のメンバーと共に日本武道館の舞台でトキメキまくっていたのだ。


横浜銀蝿のメンバーが登場して武道館が沸点まで到達した直後、コンサートの最後の曲となってしまう。え?もう最後?レコードでは全10曲しか入っていないが、実際のコンサートもそれに近かった気がする。なんといってもまだこの時はデビューしてシングル4枚、アルバム1枚しか出していない駆け出しの新人だ。まだ持ち歌もそんなにない。楽しくて夢のような時間だったから、余計に短く感じたのもあっただろう。終わってくれるなと心で念じながらコンサートを見ていたが、明らかに終わる雰囲気があるのだ。コンサートの本編最後は「To you love letter」。ファーストアルバムでも最後に収録されていたしっとりとして爽やかなラブソングだ。これはなんと岩井小百合自身が作詞作曲した曲でもあるのだ。

  To you Love letter
  あなただけに恋心
  To you Love letter
  私だけにください恋心

中学三年生の岩井小百合が精一杯の想いで書いたこの歌詞を日本武道館に集まったファンに向けて、感謝を伝えるように歌う。ここまでオープニングから涙を堪え歌い続けできたが、ついに感動が抑えられず岩井小百合は歌いながら涙を流した。間奏ではなんとか涙を堪えながらメッセージを言ってくれる。「皆さん!今日は本当に…どうもありがとうございました。またいつか、どこかでお会いしましょう。このままずっとみんなと一緒にいたいけど…どこかでまた会いましょう。どうもありがとうございました!」

この感動のフィナーレに、俺は一生小百合についてくぞーっ!と思った男子がこの場所に数千人はいただろう。オレ、その中のひとり。こっちももらい泣きで大変なことになっている。泣きながらも楽しくて笑顔。そんな泣き笑いの顔をした若者多数。

今思い返すと、あれがアイドルに夢中になる瞬間なんだったんだなぁと思う。こうやってアイドルは作られるんだなと。もちろんあの時はそんな細かいことは考えていない。ただ、実際あのコンサートを見る前と後では岩井小百合に対する想いはまったく違っていた。今みたいにアイドルオタクみたいな呼び方はなかったけれど、どう考えてもあそこにいたファンの多くはあの瞬間に岩井小百合に本気で恋したんだと思う。楽しかったという思い出だけではなく、小百合についてくぞーっ!小百合に最優秀新人賞獲らせるぞー!というファンの想いは実際に高まったし、もちろんオレもそういう想いが高まったのは確かだった。

本編が終わり、盛大なアンコールで再びステージに登場した岩井小百合はアンコールにもう一度「ドリーム ドリーム ドリーム」を歌った。「ドリーム ドリーム ドリーム」で始まり「ドリーム ドリーム ドリーム」で終わったファーストコンサートはまさに岩井小百合の夢が叶った瞬間だったのかもしれない。当時の雑誌のインタビューで「小さい頃から歌手になりたかった。歌手になるためならなんでもやった」と力強く語っていた。夢が叶い歌手になり日本武道館での初コンサートを大成功に終えた。これが岩井小百合の絶頂の瞬間だったのかもしれない。

コンサートは歌った曲数も少なく実際に短かったとは思うが、それ以上に楽しくてあっという間に終わってしまった印象が強い。オレにとっての初コンサートは夢見心地で終わったのだった。あの時、会場でどんなグッズを売っていたのかは覚えていない。唯一買った覚えのあるグッズは赤地に白い文字で岩井小百合とプリントされたハチマキだった。なぜハチマキを買ったのかは当時の自分に聞いてみたいものだ。記憶にはないが自宅のステッカーコレクションに何枚か岩井小百合のステッカーがあるので、もしかしたらステッカーも武道館で買ったのかもしれない。とにかく何も記憶がないのだ…

アンコールが終わり、広いステージを「どうもありがとう!」と涙ながらに何度も連呼して客席に挨拶する姿は今でも焼きついている。あの時の彼女は本当に輝いていた。

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もちろん日本武道館からの帰り道のことなんて覚えているわけがない。そこにあるのは生の岩井小百合を堪能したという感無量の想いだけだ。それだけでもう十分だった。その後数多くのコンサートを体験したが、どうしても大人になるとコンサート中に余計なことを考えてしまう。音が悪いなとか次の曲は何かなとか。今思えば、この岩井小百合のコンサートこそがもっとも無心の状態で楽しめたコンサートだったんじゃないだろうか。そういった意味でもこのコンサートは人生において記念碑的コンサートだ。

銀蝿一家とは関係ないがその後何人かのアイドルにハマった。少女隊のチーコ、おニャン子クラブの国生さゆりなど。しかし、どれも岩井小百合ほどはハマっていない。レコードは買うけどコンサートには行っていない。そう考えると、この岩井小百合の武道館コンサートが自分のアイドル史の中でもっともときめいたメモリーだったのではないかと言える。

その後何度も行った武道館でのコンサートとはまったく異質のまさに初体験ずくめだったこのコンサート。ほとんど記憶がないのが勿体ないことではあるけれど、記憶がないほどに夢中になり、記憶がないほどときめいた記念として、この岩井小百合のファーストコンサートが自分にとって初体験のコンサートだったことは強烈な思い出として永遠に残っていくのだろう。


it's only Rock'n Roll


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