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ひょっとしたら食事は、量が少ないほうがおいしいのかもしれない。

最近、意図的に少食にしている。

理由は主に2つあって、1つは酒に関すること、もう1つは美食に関することだ。

まず酒に関してだが、私は今年に入ってから酒を飲む量と回数を極端に減らした。

それは仕事や生活環境が変わったという要因が大きいが、それに加えて、年齢的にも健康を自己管理しなければいけないという思いが芽生えたからである。

去年までは、365日ほとんど毎日晩酌をし、うち週2〜3回、多い週はそれ以上、飲み会に参加したり会社帰りに立ち飲み屋に寄るなどして酒を飲んでいた。

飲まない人からしたら狂人のごとき振る舞いに見えるだろう。

私自身、実際に飲まなくなってからは、よくもあんなに飲めていたものだなと思う。酒が好きというのに端を発してはいるものの、一種の習慣病のような状態になっていたのである

そして、酒が体に入ると食欲がおかしくなる。

詳しい界隈の言葉を借りれば、アルコールの分解に糖質がどうだとか塩分がどうだとか、色々な論があるが、それは素人の私にはどうでもよい。

夕方になる、飲みたくなる、飲む、大量に飲む、つまみが足りない、さらに食べて飲む、シメのラーメンが欲しくなる、食べる、気絶するように寝る。

文字に起こしてみると、恐ろしい地獄絵図である。

当然翌日は頭が痛いし腹もパンパンで、昼ぐらいまでは水しか飲めない。そしてまた夕方ぐらいから腹が空いてくる。酒も欲しくなる。

そうして私は再び地獄へ舞い戻っていく。

右側に「健康」という文字があるならば、これはまさに逆側の左端にある「不健康」に振り切った食生活であった。

しかし、そんな習慣がぱたりと無くなり、いまはクリアな生活を送っている。

飲み会がなくなれば帰宅途中のラーメンもなくなるし、家でも飲まないので晩酌で酔ってしまったあとに冷凍うどんを3玉たいらげる、なんていう暴挙もしなくなった。


そして、酒を飲まなくなると同時に、外食がつまらなくなった。

たとえば天ぷら屋に入るとする。

以前なら、まずは天ぷらの盛り合わせを頼んで、生ビールをぐいっといく。天ぷらが揚がるまで、漬物やら酢の物やらをアテにビールを2〜3杯飲む。天ぷらが来る。熱々のところにかぶりつきながら、ビールを飲む。満腹になって店を出る。こんな具合だった。

今は、天丼を注文する。ビールを頼まないので飲み物は水かお茶になるが、水やお茶と一緒に漬物や酢の物を食べる気にならない。米が必要だ。自然と天丼を注文して、それだけだ。

しかも、酒がないと天丼の量が異様に多く感じる。最初は非常に美味しいのだが、半分ぐらい食べると腹が膨れてきて、最後の方は濃いタレに浸ったご飯を頑張って腹に押し込むといった具合になる。

酒があれば、おそらく天丼もぺろりといけるのだろう。それぐらい酒のあるなしで、食欲の最大値というかリミッターみたいなものの値が変わってくるのである。

自然と、天ぷら屋に行かなくなった。同じ理由で、とんかつも、すしも、中華も、ラーメンも行かなくなった。どれもこれも多すぎるように感じてしまうのである。

牛丼屋のミニサイズなど女子供以外の誰が注文するのか長年の疑問だったが、私が間違っていた。私のためにあったのだ。

シメに通っていた二郎系などは、ほとんど食べ切れる自信がなくなってしまって、すっかり足が遠のいた。

そうして、自宅で食事を作るようになった。自炊なら量も調節できるし、残しても冷蔵庫に入れておいて、温め直して食べればよい。

こうして酒をやめた私は食事量が減り、自炊をするようになった。


そして、ここからが2つ目の原因、美食についてである。

酒を飲まなくなってから最初のうちは、料理レシピのYouTube動画を見たりして自宅で色々作っていた。

朝にスーパーへ行き、その日の食材を色々買う。YouTubeで見たレシピに沿って食事を作り、食べる。

これはこれで結構楽しかった。スーパーで野菜や肉の相場を知ることができたし、色々な調味料を探したり揃えたりすることも面白かった。

スーパーの食材は外食に比べて安い。未調理なのだから当然である。

たとえば1000円出せば1kg以上の鶏むね肉が買えるし、冷凍チャーハンのような出来合いのものですら、300円も出せば500グラム近い量が食べられる。

寝る前にはレシピ動画をチェックして、明日は何を作ろうかと楽しみに寝る。とても充実した日々だった。

しかし、飽きた。

おそらく私は、もともと料理に対しては凝り性ではないのだろう。

ある時、鶏もも肉を買ってきて焼いていた。面倒くさかったのか、味付けも何もせず200グラムの鶏もも肉をそのまま火をかけたフライパンに入れ、少し油をかけてフタをした。

ものの数分で鶏もも肉は焼き上がり、フライパンごと鍋敷きの上において、アジシオを振って箸で食べた。普通にかなり美味しかった。

焼いて塩振ってかじりついただけである。フォークもナイフも凝った皿も盛り付けも下味も仕上げのソースも付け合せの野菜もない。

その時、なにか自分の中で料理に対するテンションが下がったのを感じた。

下味など付けなくても、凝ったソースを作らなくても、塩を振って食べるだけでうまいものはうまい。そりゃあそうだ。

私は酒をやめた代わりの楽しみを無意識に探して、どこか無理をして料理に取り組んでいたのではないかと思ってしまったのである。

もはやレシピ動画を観る気にもならなかった。

それからはスーパーに行っても1つか2つの食材を買い、適当な大きさに切って焼いたり蒸したり茹でたりするだけになった。

そうして出来た料理名すら無い料理に、塩やら醤油やら味噌やらをかけて食べる。それだけで充分おいしかった。

私は料理に凝るのをやめた。

というか、本当は自分がこれほどまでに食事に関心が薄かったのかということを思い知った。

結局は酒のアテというか、ペアリングとかそういったものを最優先に考えて食事を組み立てていたのだ。

食事単体では、いかにシンプルに美味しく食べられるか、ということ以外に自分を満たす要素を見つけることができなかった。

米に味噌を塗って七味を振って食べるだけでもじゅうぶんおいしい。貧乏人の食事だ、みたいな意見もあるかもしれないが、私には関係ない。

暮らしの中の毎日の食事に見栄を張ることの意味を私は感じられないし、質素倹約に暮らしている金持ちはたくさんいる。これは自分の仕事で良く出会うから誇張して言っているわけではない。

そして、料理というのはこれほどまでにシンプルでいいんだなと理解してからは、自炊に対する意識的なハードルがさらに下がった。そば屋とかうどん屋とか、そういったファストフードライクな外食店へいっそう行かなくなった。

カップ麺すら買わなくなった。300円前後の同じような値段で肉が買えるし、お湯を沸かして入れて待つおよそ10分ほどの時間で肉は焼き上がる。調理の手間がほとんど変わらないのだから、あえて即席を選択しなくてもよいのだ。


そんなある日、古い友人と日本料理のランチコースに行く機会があった。

ひさしぶりに行くちゃんとしたコース料理に、私は少なからずワクワクしていた。

もともと外食まみれだった頃には、あの日本酒がどうとか、合う食材はこれだとか、生半可な知識を頭に入れてみたこともある程度には日本料理が好きだった。

外食をほとんどしなくなったとはいえ、ちゃんとした日本料理を家で作るのは大変だ。そして品数もあるコース料理をひとりで作る機会はほとんど無いし、家族に手料理として振る舞うこともない。

しかし不安もあった。コース料理というものは思ったより量が多いのである。

一品一品は少ないが、2時間近くかけて7品〜8品ぐらい出てくる。しかも今回も酒は無しだ。友人も飲まない。健全なランチコースなのである。

食べきれなくてタッパーで持ち帰ることもできないし、冷蔵庫に入れておくこともできない。一抹の不安を抱えて、私はテーブルについた。

しかし、結論から言うと、そのコース料理は酒がなくても絶品だった。量も、はち切れるほど満腹になるというようなこともなく、私たちは大満足で店を出た。

そのコースの最中に、私はある気づきがあった。それが、美味しさと量の関係性なのだ。

少ない量ほど美味しく感じるのではないかという仮説が生まれたのである。

コース料理の一品一品は少ないので、2〜3口で食べきることができる。
最初のひと口目は非常においしい。感動するレベルでおいしいものもある。複雑な味付けや食感が口の中で踊り、喉に落ちて、「ああ、おいしいな」という実感が体中に広がるのである。

そして皿が変われば料理の内容も当然変わるので、ふたたび「ひと口目」に戻る。そのおいしい起伏を繰り返していき、メインディッシュで最高潮を迎えたのちに、ふっとコースは終わる。

私の中で、その「ひと口目のおいしさ」こそが美食の印象の大半を担っているのではないかという仮説が生まれた。

思い返してみれば、食べきることが難しい天丼も、とんかつも、二郎ラーメンも、当然ながら「ひと口目」は必ず食べることができる。そして、おいしい。そして、またその「ひと口目」の刺激を求めて店に行くのだ。

しかし、これらの料理にはかなりの量があるから、中盤から後半がきつくなってくる。最後の方は苦行のように腹に押し込むという作業になってくる。

たとえばそれが昼食だったとしよう。昼に腹いっぱいになっているから、夕食の時間になっても空腹であるとは言いづらい状態だ。

なんとなく口さみしいので食べるが、それは果たして全力でおいしいと言える食事なのだろうか。

それが、1食あたり2〜3口しかなかったらどうだろう。

夕食にもまた、食べることができる。昼食がそれだけなら夕食も空腹になるだろう。

空腹と少量のかけ算は、ひょっとしたら毎食の料理をおいしく感じさせる究極の調味料なのかもしれないと考えた。

それから私は、食事を毎回1品か2品に限定し、量は1品あたり100グラム以下に徹底して減らした。

ごはん100グラムなど、小さいおにぎりよりも小さいから腹パンパンになるなんていうことはありえない。豚肉を焼いても100グラム以下だと脂の罪悪感もほとんどないし、脂でもたれることもない。

文字通り「おいしいとこ取り」である。

この食生活は、私に非常に良い影響をもたらした。というか良いところしかない。

食べすぎて体調が悪くなることがないし、満腹で眠くなったりぼうっとしたりもしない。

肥満を心配する必要もないし、栄養の偏りもコントロールできるので不安がない。

食事にかける時間も少ないし、洗い物も、スーパーで悩む時間も減った。

毎回の食事がほとんど間違いなく美味しく感じられるので、空腹効果はすごい。

唯一、たまにどかっと食べたいなと思う時に我慢する必要があるが、酒をやめてからはそういう爆発的な食欲もなりをひそめている。

そんなわけで、少食にしてから非常によい食生活のサイクルを過ごせている。

日々じゅうぶんに食べられない国の人たちからしたら「何を言ってるんだ」と言われそうだが、いま食生活に起因する生活習慣病が飢餓を上回っているこの飽食大国においては、食情報に踊らされずに自分を組み立てていくことは、もはや自分を守るための戦いであるとも言える。

まあ、難しく書きましたが、結構おすすめですよ。



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