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2018年の瀬。東京SUP水路巡り(後)


(前編から続きます)

Ⅴ、日本橋川を南へ

水道橋で神田川から日本橋川へと入り、今度は南へ進んでいく。
しばらくは川の上を首都高速5号線が上を走る。


・『爼橋』(まないたばし)

『古くは大橋・魚板橋とも呼ばれていたといわれています。俎橋の名の由来は、はっきりしませんが、江戸時代に御台所町が近くにあったことが関係するといわれています』

神保町と九段とを結ぶ「爼橋」。通る機会が多いけれど読み方を知らなかった(笑)。一か月前の自分に『来月この水面を漕ぎます』と言っても信じられなかった。


・『雉子橋』(きじばし)

『徳川家康が朝鮮の使節を饗応するために、好物の雉子を囲った場所がこの辺りであったので、この名が付けられたといわれています』

この雉子橋で東の方向へ90°曲がる。進行方向右側は東京法務局、左側は共立女子大学、上空は竹橋ジャンクション。川の上を走る高速道路は、首都高速5号池袋線から都心環状線に変わる。


・『一ツ橋』

『江戸時代の一ツ橋門跡近くです。徳川家康の入国頃は大きな丸木が一本架けられていたことが一ツ橋の名の起こりと伝えられています。近くに松平伊豆守の屋敷があったので、伊豆橋とも呼ばれていました』

私を含む一定の年齢以上の男性なら「一ツ橋」と言えば「集英社」が思い浮かぶと思う(笑)。大正 14 年に建設された意匠が特徴的な震災復興橋梁。折角なので石垣の下部分を通る。

震災復興橋についてのメモ。

『外濠川に架設された復興橋梁は全部で10橋であり、その内訳は上路RCア ーチ橋6橋(数寄屋橋、八重洲橋、常盤橋、鎌倉橋、俎橋、堀留橋)、上路鋼 アーチ橋1橋(維子橋)、復興型橋梁2橋(神田橋、一ツ橋)である。
復興局によるものの中でRCア ーチ橋が多数集中している唯一の河川である。アーチ橋が集中的に架設されている要因の一つとして、外濠川が水運 上重要な位置付けにあったことは前述の通りである。また、外濠川は神田橋 、一ツ橋の架橋地点以外は地盤状況が良く、実際この2橋以外は全てアーチ橋である。外濠川の水運上の重要性と河川沿いの良好な地盤条件 によってRCア ーチ橋が集中したと考えられる。』


ふと護岸の石に目をやると、文字のようなものが刻まれている。積み上げる時の目印にしたのだろう。

日本橋川の水面から、日本経済新聞本社ビルを見上げる。

正面に走るのは中央線。山手線の内側から外側へ。この先は日本橋エリア。


・『JR日本橋川橋梁』

中央線の神田駅と東京駅間に掛かるJR日本橋川橋梁。日本初の本格的な鉄筋コンクリート製の鉄道橋とのこと。アーチの中央部には機関車の動輪の形をした紋章が付いている。よく見ると「大正七年」と記載がある。


・『常磐橋』 

東日本大震災の影響で改修中の常磐橋。写真中央に見えるのは日本銀行本店。

江戸時代の常盤橋門の跡にあります。始めは天正18年(1590)に架けられたといわれ、三代将軍家光の頃までは大橋とも浅草口橋とも呼ばれていました。改名の上意を受けた町年寄奈良屋市右衛門は、寄宿の浪人から「常磐」の名を得て、これを献上しました。それは『金葉和歌集』の「色かえぬ松によそえて東路の常磐の橋にかかる藤浪」の意であるといわれています


・『日本橋』

疲れが出てくる中、ようやく日本橋に到着。五街道の起点であり、NHKの『東京ナイトフィッシング』でサカナクションの山口一郎さんが釣りをしていた場所。ここでも多くのギャラリーが(笑)。日本橋の獅子の紋章も水上からだと良く見える。
日本橋を水上から見ることが出来た興奮はあるけれど、細いボードに載っているから疲れが出てくるし、向かい風が出てきたのでなかなか前に進まず更に疲労が。


Ⅵ、日本橋水門から亀島川へ

『亀島川の由来は、瓶を多く売る者が多くいたからという説と、かつて亀に似た小島があったからという説があるという』

箱崎JCTのすぐ南側にある『日本橋水門』からは亀島川へと入る。新亀島橋のそばには、昭和二十年三月十日夜半の空襲により全町焼失の際に遭難された霊を慰むる戦災遭難死者慰霊碑がある。

日本橋川から分流し隅田川に注ぐ全長は1.1kmほどの亀島川。川の両側は日本橋水門と亀島川水門があり、高潮あるいは津波時には、両水門を閉鎖し水面の上昇を防いでいる。


・「亀島川水門」


亀島川水門近くには「江戸湾開港の地」の碑が。なんでも東京港を作るため、隅田川の河口、佃島と築地の間が掘り進められたことを記録しているとのこと。

Ⅶ、佃島と隅田川を経てゴール

中央大橋にあるブロンズの女神「メッセンジャー像」。
「姉妹川」としてパリのセーヌ川と提携結んだ記念でパリ市より贈られたもの。オシップ・ザッキン作「メッセンジャー」像が寄贈された。パリ市の紋章である帆船を抱いた像はフランスの船の守護神を表している。

写真の後ろ側は佃島。

大島川水門へと戻ってくる。漕いだ距離はぐるっと約17km。さすがに疲れましたが、普段見ることが出来ない角度から東京の街並みを眺めることが出来、実に興味深い時間でした。

この記事を書くにあたり色々調べていたら、関東大震災と東京大空襲の被害が大きな地域だったことが分かる。平成最後の年の瀬、こうして平和にパドルを楽しむことができることは大変ありがたいことだと改めて感じる。
東京では色々と複雑な事情があって、商業船以外ではなかなか水面に降りることができず、これはなかなか寂しい。非商業船でも気軽に水面に降りられる環境が整備出来たら面白いのだろうけど。

"ヨコハマ良いよなあ"、"SUPやってみたいなあ"と感じていただけたら嬉しいです。いろいろありますが、みなさまにとっての毎日が「タフで優しい」時間でありますように。