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ケンケンパッ

「ケンケンパッ。ケンケンパッ」

ゆうげの時刻。

煮魚の匂い これはお味噌汁

クンクン 

これはなんだろう  クンクン

少女は鼻に意識を集中する。


「八重ちゃん、一人遊び?」

「華子さん、お帰りなさい。ケンケンパッをやってたの」

「ふむふむ。私も、ケンケンパッ!アハ、懐かしい」

「お仕事、忙しかった?」

「今日は割と暇だったかな。そろそろ八重ちゃん家も夕飯の時間じゃない?」


「う〜ん」

と、云って八重はしゃがむと、狼藉で地面に絵を描き出した。

華子が覗くと、そこには大きな口を開けて、怒っている男性が描かれている。

「そっか、またお父さんが怒っているのね」

八重は小さく頷く。

「お母さんはさ、何でお父さんと一緒にいるのかな」


華子はどう答えたらいいのか考えた。

「それはね〜たぶん好きだから。私はそう思うよ」

「えー!お父さんは、怒ることが多いのに?」

「でも、そうじゃない時だってあるでしょう?」

「……あるけど」


「八重ちゃんも時期に分かるようになるよ。さぁて、お腹が空いたから帰るわね。

八重ちゃんも、もうお帰りね。バイバイ」

「うん、華子さんバイバイ」

あっ  クンクンクン

「分かった!揚げ出し豆腐の匂いだ!」

そう云って少女はかけて行った。


    ガラガラ

「ただいまー」

「お帰り八重。ちゃんと手を洗うのよ」

「分かってるも〜ん」

「また負けてら。だらしねえなぁ、大関だろうが」

「ただいま、お父さん」

「おう、お帰り。後で一緒に風呂に入るか」


少女は黙って洗面所に行った。

「なんだ、無視かよ。俺は父親だぞ」

母親が一枚板テーブルを台拭きで綺麗にしながら微笑む。

「八重も少女から、女の子になっている途中だもの。男の人には分からないことも出て来るのよ」

「チッ、男親はつまんないよな全く」


「八重、お父さんは、こう見えても勉強は出来たんだぞ。八重にもしっかり遺伝してるんだ。頑張れよ」

「その話し何回も訊いた」

少女はもくもくとハスのきんぴらを箸で口に運び噛んでいる。

「八重、こういう話しは何度耳にしてもいいんだ。分かったか」


八重は早く食べ終えて、この部屋から出たいと思っていた。

「返事はよ。なぁ」

「そうそうあなたは優秀なのよね。大学も一流大学を出てるし」

「まぁな、二浪してるけどな」

「二浪したって合格出来ない人はたくさんいるんですもの。やっぱりあなたは頭がいいんだわ」

「ごちそうさまでした」

少女は重ねた食器を台所に運んで行った。


ふぅ

小さなため息をつく。

お母さんは、どうしてお父さんの同じ自慢話を、嫌な顔もしないで訊いていられるんだろう。

まるで初めて訊くみたいに褒めたりして。

「八重、お母さんと夜桜見物に行かない」

「行きたいけど、お父さんは?行くの?」

「ううん、行かないわ。大好きな格闘技をテレビでやるから留守番」


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「今夜が今年最後の見頃かもしれないね。明日は風が強いっていうから」

「キレイだね桜」

「本当にそうねぇ」

「お母さん」

「ん?なぁに」


「どうしてお父さんみたいな人と結婚したの」

母親は、クスッと笑った。

「だって、お父さんはよく怒るし自慢話ばかり話すでしょう?嫌じゃないの?」

「う〜ん」

「話し方も、なんかカッコ悪いよ」


桜を見上げながら、母はこう話した。

「最初にお父さんと出会って、お付き合いしてた頃は嫌だったよ」

「……」

「友達も全員、私がお父さんと付き合うのを反対してた。『あんな見栄っ張りのプライドだけが高い男なんか別れなさいよ』

ってね」


「でも結婚したんだよね」

「そうねぇ。でも何回も別れたのよ。私もお父さんにはウンザリしてね。でもね、別れると少ししたら、また会いたくなる。何でだか、私も分からないのよ。ただ……」


母は八重の顔を見ながら云った。

「怒るのも、自慢話をするのも、楽しいところも、たまに優しいのも、全部ひっくるめて、それがお父さんの愛情表現なのかなって思ったの」

「ふうん」

「お母さんにだって、何でお父さんがいいのか、未だに分からないんだもの。八重にはもっと難しくて当然よ。答えがあるとしたら、それはお母さんの心の中だけにしかきっと無いんだわ」


「ただね八重。お父さんが機嫌がいいとね、例えば私が『このアーティストのライブに行きたいけど、チケットが高いのよね〜』と云った時に『たまにはいいじゃないか。行ってこい、行ってこい』なぁんてこともあるんだなぁ」


母はふふふと笑いながらそう云った。

少女は、分かるような、分からないような

そんな気持ちになった。


ただ、母は少女が抱いている父親への気持ちとは別に好きなんだろうということは分かった気がした。

「さて、帰ろうか」

少女は母親と手を繋いで桜の下を家に向かった。


「行って来まーす」

ランドセルを背負い、少女が家から飛び出して来た。

華子の姿が見えた。

「華子さん、おはよー」

「八重ちゃんおはよう。元気でいいね」


「あのね、わたしが変なの、嫌いって思うところが、好きっていう人ってもいるんだね」

「そうだね〜。どうしてあんな人が好きなの?ってあるんだよね、きっと」

地面には昨日、少女が描いた丸が幾つも残っていた。

「よーし!ケンケンパッ!ケンケンパッ!」

クンクンクン この匂いは……


「アジの開きを焼いた匂い」

「云おうと思ったのに!華子さんズルい!」

「早い者勝ちよ〜」

二人は真っ直ぐな道を走って行った。


       了





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