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ただいまの音(ね)

弟の圭介が煙になって、空に昇ってから1年が経つ。

まだ小学4年生だった。

圭介は産まれた時から、視力がほとんど無いに等しく、常に白い杖を持って外出していた。


今日のように真っ青な空に入道雲が勢いよく沸いていた。

朝から日暮らしが、カナカナカナと鳴いていて、正に夏の一日の始まりを告げていた。


僕は知らなかった。

先日の圭介の三回忌の日、やはり日暮らしが鳴いていたので、

「まだ夏は始まったばかりなのに、もう日暮らしが鳴いてる」

僕がそう云ったら、親戚の叔父さんに、

「なんだ敬、中学生になったのに知らないのか?夏になって最初に鳴くのは日暮らしだぞ」


「えっそうなの?てっきり夏の終わり頃に出て来るのだと思った」

「あの、カナカナカナの鳴き声は、始まりより終わりの方が似合うからな。

どこか寂し気で」

叔父さんはそう云うと、静かにお茶をすすった。


          🔶🔷


あの日、圭介は友達の家に行くため一人で歩いていた。

道路に着いた圭介は、横断歩道で立ち止まっていた。

すると、同じ歳くらいの男の子二人が近づいて来て圭介にこう云ったのだ。


「信号が青になったよ」


「ありがとう」

圭介は横断歩道を渡り始めた。


クス クス クス

それをみて、二人の子は笑いだした。

信号はまだ赤だった。


キキキーー!ドーーン!


「キャーー!」

「き、救急車、救急車を!」

「オーーイ、だいじょぶか!」

「ボク、聞こえるか?」


チリン   チリン


窓の外にある、この風鈴は、家族で浅草寺の、ほうずき市に行った時に買ったものだ。

ほうずき市と一緒に、たくさんの風鈴も売られていた。

お盆と魔除けが関係しているらしい。


「お兄ちゃん、この風鈴は何色で、どんな模様なの?」

「水色が風鈴を、一周している感じかな。

あと、少しだけ黄緑色が入ってるみたい」


「ねぇ、お母さん、この風鈴欲しい」

「いいけど、もっと他のも見てから決めたら?」

「ううん、これが一番いいんだ。この風鈴に決めた」

「圭介がそう云うなら、それにしようよ、お母さん」

「敬もいいなら、それにしましょう。圭介、自分で買ってこれる?」

「うん!」

お母さんからお金をもらうと、圭介は店の人に風鈴とお金を渡した。


        🔶🔷


「アイツにしたら、地味なのを選んだよな」

ナスとキュウリで、牛と馬を作り、この後の迎え盆に備えた。

お盆の間の夕飯は、素麺に決まっている。

何故だか知らないが、素麺と天ぷらが毎年の恒例だ。


「敬、迎え火をやるわよ」

「いま行くよ」


毎回、狭い庭で、迎え火と送り火をする。

僕が作ったキュウリとナスを置いて。

「御先祖様、どうぞいらしてください。何もありませんが、ゆっくりして行ってくださいね」


キュウリとナスは、上手に役割りを果たしてくれるだろうか。

「そういえば父さんが居たことって無いよね」

「お父さんの帰りを待ってたら明日になってしまうわ。はい、お線香」


迎え火でお線香に火をつける。

仏壇に持って行くと、果物やお菓子が山のように、お供えしてある。

それを見て僕は「すげえな」と思う。

こんなに食べるか?

あぁ、でも圭介がいるから……。


          🔶🔷


「それって殺人だろ?いくら小学生とはいえさ」

友達は、必ずそう云った。

僕もそう思っている。

「その悪ガキたちに、刑罰はあったの?」

僕は首を横に振る。

「そんな……」

「14歳以下だから刑罰にはあたらないそうだ。施設送りにはなったらしい」


友達は唇を噛み締めて、握り拳を作っていた。


僕だって、とうてい納得など出来るはずがない。

自分が捕まってもいいから、圭介の仇を獲りたい気持ちは常にある。

ただ……両親を見ていると、それは非現実的だと、諦めに近い気持ちになるのだ。


これで僕まで殺人者になってしまったら、僕の家族はバラバラに壊れるのが分かってるから。


「敬、なにボーッとしてるの。夕飯にするわよ」

お母さんの声に僕は我に帰った。

テーブルを見て、笑いそうになる。

素麺と、山盛りの天ぷら。

「いただきます」

手を合わせ、食べ始める。


チリン   チリン


「そろそろかな」

心の中で僕はつぶやく。


          🔶🔷


自分の部屋に戻った僕は、ベットに寝転がりながらも、落ち着かない。

風は全く吹いてはいない。

無風だ。


その時。

チリン   チリン   チリン   チリン


鳴った!


「お兄ちゃん」

ドアの傍に圭介が立っていた。

「あっ……お、お帰り圭介」

「ただいま。あの馬と牛を作ったの、お兄ちゃんでしょう」

「そうだけど、何で?」


「やっぱり」圭介はそう云って笑った。

「なんだよ、何がいいたいんだ」

「だって、下手だから、これはお兄ちゃんが作ったんだなってボク直ぐに分かったよ」

 「だけどキュウリに乗るわけじゃないだろ」

「そうだけど、下手な物には、それなりの馬と牛が来るんだ。

ボクは馬に乗ったけど、右に左に、まるで酔っ払いみたいにフラフラな歩き方だった」


「悪かったな、下手で」

「面白かったからいいよ」

「圭介は今は目は見えるんだろう?」

「うん、見える。神様がそうしてくれたの」


「去年の新盆の時に圭介が現れた時、凄く驚いたよ!」

「ボクだって。お兄ちゃんのこと初めて見たから、わ〜って思った!」

「なんだ、その、わ〜って」


「お兄ちゃんを見る前にボクはお空で目が見えるようにしてもらって、直ぐに自分の顔を見た。すごく大きな鏡があったから」

「うん」

「お兄ちゃんは、分からないと思うけど、自分の顔を初めて見たら、わ〜ってなった」


「そうかもしれないなぁ。初めてだもんな」

圭介は、うなずくと、

「去年、今度はお兄ちゃんのことを初めて見て、自分と似てるから、わ〜ってなった」


「なるほど、そういう意味か」


「ホントはボクは帰る番じゃなかったんだ。たくさんの御先祖様たちが居て、皆んながお盆に帰りたいって思ってるんだよ」


「そうなんだな」

「ボクは去年、初めてだから帰れたけど、今回は帰れる予定じゃなかったんだ。でも神様が、『チビちゃん、特別に今年も帰っていいよ』って云ってくれたの。だから来年は無理なんだ」


          🔶🔷


「……そっか、でも仕方ないよな。今年もこうして圭介に会えただけで、僕は嬉しいよ」


圭介は、ニコッと笑って僕を見た。


新盆の時もそうだったけど、送り盆の日まで、自由に過ごせる。

そして去年、決めたんだ。

来た時は、風が無い時に風鈴を鳴らすって。

それを合図にすることにした。


          🔶🔷


「あれから、お兄ちゃんたちは、浅草に行ってないね」

「行けないさ。圭介との思い出がある場所にはまだ行く気がおきない……だって、

寂しいよ、圭介が居ないと」


圭介は黙ってた。 そして云った。

「ごめんね、ボク、死んじゃって」

そして大粒の涙をいくつも溢れてさせた。


僕は圭介を抱きしめて泣いた。

「なんで謝るんだよ。圭介は何も悪くないだろう?謝らないでくれよ、お願いだからさ」

僕らは、声を上げずに泣いた。

両親に心配させたくない、同じ思いが合ったから。


その晩は、泣き疲れて早く寝ることにした。


翌日、僕が起きたのは、なんと昼過ぎだった。

隣を見たら圭介がスヤスヤ寝ていた。

「こいつ、こんなに可愛い顔してたんだ」

僕はしみじみそう思った。

その平和な寝顔を見ていたら、僕もまた眠くなってきた。


結局、また寝てしまった。


          🔶🔷


「敬、敬、大丈夫?どこか具合でも悪いの?入るわよ」

お母さんが部屋に入ってきた。

僕は寝ぼけ眼で、お母さんを見た。


「敬、どうしたの、こんな時間まで起きてこないから、お母さん心配で」

「いま何時なの」

「もうすぐ夜の7時になるのよ。もしどこか痛いとか、気持ちが悪いとかだったら、今ならまだ病院にギリギリ間に合うから」


「ごめん、眠かっただけなんだ。大丈夫だよ」

「あ〜良かった。何も食べずにずっと部屋から出て来ないから、どうしようかと心配で」

「ホントごめん。いま行くから。腹も空いたし」


「じゃあ、母さんは先に行ってるからね」

お母さんが部屋から出て行ったとき、

「そういえば圭介は?」

ベットにも部屋にも居ない。

「あいつ、どこに行ったんだ」


キッチンに行く時、何気なく和室を覗いた。

すると、仏壇の傍で、御先祖様たちが、

お供え物を食べながら、会話をしていた。

その中に、圭介も居た。

笑顔で大好きなスイカを食べている。

僕はホッとしたと同時に、少しだけ寂しくなった。

そうなんだ。

もう住む世界が違うんだ。

そんな思いが胸を苦しくしていた。


          🔶🔷


アハハハ

見ると圭介が笑っている。

他の御先祖様に頭を撫でられて、嬉しそうにしていた。


「そうだ、いいんだこれで」

僕はキッチンへ向かった。


圭介とは、一緒にゲームをしたり、テレビを見たり、ひたすら眠ったりして過ごした。

そして今日は御先祖様が、天に帰る日になった。


夕方、お母さんと、送り火の準備をしてたら、圭介がやってきた。

「お兄ちゃん」

「なんだい、何か云いたいことがあるなら、今のうちだぞ」

「ボク、次に生まれてきたら、またお兄ちゃんの弟がいい」


僕は泣きそうなのを我慢して、圭介を抱きしめた。

「また、僕の弟になってくれな圭介」

圭介は、嬉しそうに、何度も何度もうなずいた。


そして、今年も送り火の煙りに乗って、ご先祖様たちは、昇って行った。


          🔶🔷


それから2年が経ち、僕は受験生になっていた。

頑張って勉強をした甲斐があって、第一志望の高校に受かった。


僕には行きたい大学がある。

偏差値がかなり高い大学だから、1年から勉強には手を抜くことは出来ない。

必ず現役で合格したい。

浪人したら、金もかかる。

オヤジは小さいが、一応会社を設立して、そこそこ成功させている。


だからといって、経済的な負担は極力少なくしたい。

僕はひたすら勉強に時間を費やした。

学年でもトップ争いに入っていた。


そんな3年間が、あっと言う間に過ぎていた。


そして受験の結果は……


「敬、おめでとう!よく頑張ったわね」

「ありがとう、母さん」

「やったな敬、この3年間、ひたすら勉強したその努力が実って俺も嬉しいよ」

「オヤジ、ありがとう。また4年間スネをかじることになるけど、宜しくお願いします」


「俺も仕事を頑張らないとな」


この時が、家族で笑った最後の日になった。

あの健康だったオヤジが、呆気なく逝ってしまったのだ。

心臓発作だった。

こんなことが現実にあるんだ。


圭介の時もそう思ったけど、オヤジまで……。

通夜と告別式はオヤジの会社の人達が手配や手伝いをしてくれた。

本当に有り難かたった。

母は余りのショックで寝込んでしまった。


オヤジの会社の人たちの、一人一人の表情は、不安でいっぱいなのが伝わってくる。

僕は決心した。


          🔶🔷


全てが終わったその日に、会社の皆さんには残ってもらった。


「お疲れ様でした。オヤジに代わりまして、お礼を申し上げます。

そして、こうしてお疲れのところ、皆さんに残って頂いたわけですが、今後の会社について、お話し申し上げたいと思いました」


従業員の皆さんが、ザワザワとなった。

そのあと、空気がピーンと張り詰めたのが分かった。


「えー、会社は存続させることに致しました。

オヤジ、いや社長の故・小谷英二郎の後は、わたくし小谷敬が務めさせて頂く所存でございます。何も知らない、右も左も分からない、頼りないわたくしでありますが、皆さんに教わりがながら、前者して参りますので、何卒宜しくお願い致します」


「でも、敬さんは大学に進学なさるのでは」

「いえ、大学へは進みません。もっと重要な役割を、授かったからです。

これまで会社に尽くしてきてくださった、従業員の皆さまと、そのご家族を不安にさせるわけには参りません。

それがわたくしに与えられた役割だと思います」


従業員の皆さんは、拍手で僕を受け入れてくださった。

涙を拭う、男性の方の姿を僕は心に焼き付けた。


危なっかしかったが、新しい船は港を出港し、ベテランの方々に支えられて、なんとか5年が過ぎた。

そして僕は、ずっと経理を担当してきた、7歳年上の女性と結婚をした。


一年後には妻のお腹に新たな生命が宿った。

浅草で買った風鈴は今も窓の外で、いい音色を聴かせてくれている。

妻には圭介のことは全て、話してあった。


そして遂に僕は父親になった。

元気な男の子のお父さんに。


ある日のこと。

ベビーベッドでぐっすり寝ているわが子を見ていたら、聴こえてきたのだ。


チリン    チリン   チリン


僕は窓を開けた。

無風だ、なら何故いま……。

分からないまま寝ている赤ん坊のところへと戻った。

すると、赤ん坊は起きていた。


ジーっと僕を見てる。

真っ直ぐな瞳で。


チリン    チリン    チリン


その時、赤ん坊は、わが子は、僕を観ながら、嬉しそうに笑ったのだ。

ああ、そうか!


分かった、やっと。

キミは、僕の弟は止めて、息子に生まれてきたんだね。


チリン   チリン    チリン

キャッキャッ バブー 

「いらっしゃい、圭介」

  来てくれて、ありがとうな。


      (完)







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