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安全な居場所

小学4年の時だった。

あの時みた夢を、僕は今でも鮮明に覚えている。

ストーリーというものが何も無い、ずっと同じ場面の動画を観ているような夢。


薄暗い、木造りの狭い部屋。

両手を広げたら壁に届くほど狭い。

窓があった。

扉はあったが、壁をくり抜いたように見えた。


そこには海が広がっていた。

海だけがあった。

それはそれは穏やかな海原のフィルムのように。


僕は閉じ込められていたのか、自らその部屋を選んだのかは不明だ。

でもあの場所は確かに安全で。


だから僕は、何も恐れる必要がなかった。

生まれて初めての【安心】という世界を、僕は夢の中で体験した。



時間は夜の10時を過ぎている。

高2の僕は、難関といわれる国立大を受験するため、今夜も塾帰りの夜道を一人で歩いていた。

以前は自転車で通っていたが、盗まれてしまったのだ。

直ぐに警察に盗難届を出したけど

未だに連絡は来ない。


まだ、たいして乗っていない、新品同様の自転車だったので、僕はかなり落胆した。

しかし、盗まれた以上に僕を憂鬱にさせたことがある。

親に話さなければならなかったことだ。


案の定、父から徹底的に非難された。


[お前はいつまでたっても厳しさが足りない。

お前自身にも世間に対してもだ。

弱い人間だからそうやって足元を掬われるんだ。

弱者は常に眼をつけられる。

強い者に喰われてしまうんだ]


物心ついてから父が僕を叱る時には、必ずと云っていい程、僕は弱者で、強者に喰われてしまうという。

そして最後に父が発する言葉。

僕は父が口にする前から、自分に落ち着きがなくなっているのを感じる。


【もしそうなったら、お前とは縁を切る。親でも子でもなくなる。お前には家から出てもらう】


 もし高校受験に失敗したら

 もし試験で学年5番以下

 になったら

 もし俺に恥をかかせたら

 もしーーーー


まだ小学生の僕は、家にいられなくなるということに、漠然とした、でも圧倒的な恐怖を感じ、毎回震えた。


現実にそうなったら、どうしたらいい。



心臓が脈打つ。

心臓が痛くなる。



 住むところを確保しないと。

 でもどうやって。


「父のような親も“毒親”に当てはまるんだろうな」


この時間でもコンビニだけは煌々と明るい。

吸い寄せられる人の気持ちが僕にも判る。

周りが闇なら人は光に助けを求める。

死ぬまで居られる安全地帯が欲しい。

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僕にも趣味がある。

アコギ、アコースティックギターを

弾くこと。

きっかけは、中学生の時にリサイクルショップで売られていたギターと出会ったことだ。


定価は税込み3000円。

店の隅に立て掛けられていた。

もちろん弦など張られていない。

僕はギターのことなど丸で判らないし興味もなかった。


けど、このギターはきっと、僕が買わないと他に買い手が無いだろう。

そう思ったらギターが気の毒に思えた。

財布から、なけなしの3000円を出し、レジで支払った。


気のせいか、レジの人が僕を見る目が同情的というか、変人に会ってしまった、みたいな雰囲気に思えた。

そうかもしれないなと自分でも納得出来た。


弦を買うのは次の小遣いをもらうまでお預けだ。

家に帰ると両親に見つからないようギターをしまう場所を探し始めた。

結局、自分の部屋には隠す場所は見つからず、亡くなった祖父の部屋の天井裏に置くことになった。


「楽器だから本当は湿気は良くないんだろうけど、今はここしかない。ごめんな」

ギターに謝ると、真っ暗闇の空間に静かに置いた。

それからしばらくして、弦を新しくしたギターを持って、少し離れたところにある河原まで歩いた。


家では弾けないのでここをギターの練習場所にしたのだ。

DVD付きの初心者向けの教本を買ったので、部屋で何度も観ながらエアーギターで練習する日々。


だから初めてこの場所でギターの音を鳴らした時には、かなり感激してしまった。

勉強の合間の少しの時間だけど、僕には緊張から放たれることの出来る最高の癒しの時だ。


まるで人間に戻れたような時間が

河原では流れていた。

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そうしている内に僕は、今まで知らないふりをして来たことを止めることにした。

  

   母のことだ


本当の“毒親”は、父より母の方だということ。

父は判りやすいタイプの毒親だ。

母は違う。

かなり判りにくいタイプの毒親、それが母だ。


小さい頃から、父に酷すぎることを僕が云われていても、母は知らんぷりだった。

僕がどんなに不安で泣いていようと、ただの一度も母から優しい言葉を訊けたことはなかった。


自分が生んだ子供でも、母は関心が無いようだった。

放っとかれている自分。

それは父から脅しのような叱りかたをされるより、僕には辛かったし

かなり応えた。


僕はとうの昔に諦めたし、慣れようと努力をして来た。

けれど……。


ある日、塾から帰ると有るはずのギターが無くなっていた。

ここに隠していることがバレてたなんて!

僕は体中の血がサーッと引くのを感じた。


慌てて祖父の部屋から出たところに母が立っていた。

「ギターを探しているのなら無いわよ」

「無いって、何だよそれ。どこにやったんだよ!」


「捨てたわ。お父さんに見つかりでもしたら大変だもの」

「人の物を勝手に。ふざけるなよ!どこに捨てた」

僕は怒りで体が震えてるのが判った。


「やめてよ、そんな怖い顔するの」

母は理解出来ないと云った顔をしている。

冗談じゃない!

「早く教えろよ、どこにやった」


母はまるで化け物を見るみたいな目で僕を見ている。

仕方なさそうに、ため息をつくと、

「粗大ゴミ置き場」


僕は母を突き飛ばし、家から出ると全力で走った。

お願いです。有りますように!

そしてそれは

「あった……」

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僕は捨てられたギターを抱きしめた。

そして声をあげて泣いた。

「ごめんな、ごめんな」

そう声をかけ続けた。


この時、ずっと押し殺していた感情が、僕の中心で一気に爆発を起こしたんだ。

ギターを抱えて、道を引き返す。

そして僕は家の中に入って行った。

ほどなく母の悲鳴が近所中に響き渡った。



その夢は、薄暗い木造りの、狭い部屋に僕がいるらしく。

両手を広げたら壁に着く狭さだけど、僕にとっては安全で、安心な居場所で。


壁をくり抜いたような窓からは、穏やかな海が広がっているんだ。


この部屋も狭いけど、窓は小さく上の方にある。


「十七番、出なさい」

そして僕は番号で呼ばれている。


でもここには父も母も居ない。

それは僕にとっての


安全を意味する。


安心できる僕の居場所。

やっと見つけた。

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      了

        




























































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