#『サヨナラ』の理由
むかしは冬の海辺といえば、閑散として、人の姿は、僅かだった。
今は1年中、サーファーたちで賑うようになった。
それでも夏の尋常じゃない混雑に比べたら、2月の海は静かで落ち着く。
1人で海を見ているのが翔子は好きだ。
近くの会社で働いているので、短い昼休みの間に、職場を抜け出して翔子は海を観に来る。
遠くから、2人の警察官が翔子に近づいてきた。
「なんだろう」
翔子がそう思っていると、1人の警察官が、話しかけてきた。
「キミの家はどこかな?お父さんとお母さんには、キミここに来ていることは話してある?」
どうやら翔子は家出少女に間違われているらしい。
翔子は会社が近いこと。自宅の住所。
海が好きなので、お昼休みにここに来ていること。
それらを話した。
警察官は、訝しげな顔をしている。
翔子は社員証を見せた。
それを見て、警察官はやっと信じてくれたようだ。
🌅🌠
やれやれ、と翔子は思った。
顔が童顔なので、実年齢よりかなり若かく見られる。
「もう26なんだけどな」
最近、翔子はこの浜辺で、ある拾い物をした。
ガラス瓶と、その中に入ったいる紙。
メモ帳のような小さな紙で、それを2つ折りにして、瓶に入れたらしい。
翔子は迷った。
このままにして置くか、中に入っている紙を開くか。
散々、悩んだ末、好奇心には勝てず、紙を開くことにした。
ガラス瓶のキャップを開けて、中の紙を取り出した。
『どうか日本語で書いてありますように』
そう念じて、翔子は紙を開いた。
そこには短い言葉が書いてあった。
サヨナラ
この言葉だけが書いてあった。
🌅🌠
誰かに宛てたものなのか。
それとも自分に向けて書いたものか。
書いた人は女性?男性?
何にせよ、今の自分にこんなに当てはまる言葉は他にはない。
何故なら翔子は失恋したばかりなのだから。
そして会社も辞めることになっている。
翔子が好きになった相手は、仕事の出来る男性だった。
いつも優しく、ユーモアがあり、会社の中心的な存在の人。
翔子は勘違いをしてしまったのだ。
彼も私に好意が持っていると。
そう思ってしまうほど、彼は翔子に優しかった。
ある日、翔子は勇気を出して、映画に誘ってみた。
“ごめん、その日は用事があって行けないんだ”
申し訳なさそうに謝る彼の、その顔を翔子は信頼した。
しかし、それから数日後、翔子は社長に呼び出された。
社長の口から出てくる内容に翔子は衝撃を受けた。
彼は社長に相談していた。
私のことを……。
🌅🌠
「T君が、君が自分に好意を持っているようで困っている。そう云ってるんだが」
「え……」
「あんまり彼を悩ませないで欲しいんだよ。知っての通り彼はこの会社には、なくてはならない存在なんだ。あちこちの会社からも引き抜きの話しも来ていると云うし。彼に辞められたら困る」
私は言葉を失った。
「ハッキリ言って事務の代わりはいくらでもいるが、彼の代わりは居ない。よろしく頼んだよ。君だって恋愛するために会社に入ったわけじゃあるまい」
「だがな、彼にも悪いところは、ある。
悪気はないんだろうがT君は女性に勘違いさせてしまうんだよ。自分に気があると思わせてしまうんだな。過去にも同じようなことがあった。それで退社した女性も何人かいた。彼には注意をしておいたから」
「風が出て来たな。波が高くなった」
翔子はもう一度メモを見た。
サヨナラ
そしてポケットに入れた。
会社に戻ったらデスク周りの片付けが待っている。
「6年間、お世話になりました」
翔子は明日、この言葉を皆んなの前で云うことになる。
「私は泣かない。何故ならサヨナラの次は、『初めまして』が待っているのを知っているから」
そう呟くと、ここでの最後の昼休みを終えて、会社に走って行った。
(完)
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