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オレをリゾートに連れてって

表参道から少し離れたところに静かな

カフェがある。

残暑の今の時期でもよほどの酷暑でなければテラスでも気持ちよく過ごすことが出来る。

まるでここに店があるのを隠すかのように木々が生い茂っている。

その為、直射日光を浴びることもない。


さっきからテーブルの向かいに座っている奴は一言も話さずに、何やら考えごとに耽っているらしい。

「あのさ、ちょっといい」

しかし奴には聴こえていないようだ。


俺は少し腹が立って来ていた。

「あのなぁ、もう20分も一言も口を訊かないのは何でだ」

奴はようやく気付いたようだ。

「なんか云ったか?」


「云ったよ、侑樹にとって俺は透明人間かと考えてたところだ」

「なんで光司が透明人間なんだ」

「ここに座ってから何一つ会話をしてないのを知ってるか」

「あゝ、そうだな悪かった」


俺は汗をかいた胴のカップを手にしてアイスコーヒーを飲んだ。

「悩み事でもあるんじゃないか?」

「いやそれは違うよ、気を使わせて悪かったな」

俺はまだ疑いの目で侑樹を見ていた。


「悩み事、とは違うけど自分の中で踏ん切りがつかないことがあってさ。それでつい黙り込んでた」

「就職も決まったし、なんの踏ん切りをつけたいんだよ」

侑樹はアイスティのレモンにストローを当てて絞っているようだ。


「就職だよ」

「就職?上場企業に入れたんだから踏ん切りもなにも」

「就職するのを辞めようかどうかの踏ん切りだよ」


「えー!お前あの会社を蹴るつもりなのか?嘘だろう」

風が木々の葉をかすめて通り過ぎた。

侑樹は目を閉じて、葉が揺らぐ音を聴いている。

「本気で云ってるのか、侑樹」


「ああ、本気で云ってる」

閉じてた瞼を開けて真剣な顔で俺を見てる。

「就職をしないなら何をするつもりなんだ」


「大学に入り直そうかと思ってる」

「大学……」

「オレ、薬学部に入って薬の研究がしたくなったんだ。だからせっかく内定をくれた会社には申し訳ないが就職はしない」

「あ、いまオレ踏ん切りがついた!大学に行くわ」

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「簡単に云ってるけど親は反対するんじゃないか?俺が侑樹の親ならそうすると思う」

侑樹は小さく頷くと

「そうだな、反対するだろうな」

そう静かに云った。


「反対されたら入学金や学費は出してくれないんじゃないか?そうなったら」

「光司が心配するのはもっともだよ。だけど俺はこの2年近くかなりバイトをしてたのを知ってるだろう」

「つまり2年前には大学に入り直すことを考えていたってことか」


侑樹はしばらく黙り込んだ。

「必ず国立に入る」

静かな侑樹の言葉には、自信と覚悟が感じられた。

オレから侑樹にかける言葉は何もないと

この時悟った。


アイスティをストローでかき混ぜる仕草をして、その先端で薄っぺらいレモンを掬い取り口に放り込むと、侑樹は酸っぱそうな顔をして見せた。

「なぁ侑樹、旅行しないか」

「旅行?急にどうした」


「勉強が大変なのは判ってるんだ。だから一泊だけ近場でいいから行かないか」

「いいけど資金はどうする」

「侑樹のバイト代から出せよ、と云うのは冗談。オレが出すよ。なんて云ったかな、予祝、そうだ予祝をしよう合格祝いを前もってやろうぜ」


「予祝か、いい案だな。ありがとう」

「行き先は侑樹に任せる。出来れば残暑とはいえまだ夏だから、それっぽいところがいいけど」

「本当に俺に任せてくれるのか」


「侑樹の前祝いだから任せるよ、ただしあまり高いのは無しな」

「なんだかワクワクしてきた。帰ったら早速探すよ」

「ああ、じゃあそろそろ行くか」


オレたちはカフェを後にした。

2日後に侑樹からラインが来た。

[予約したよ。1週間後だ。光司もその日は空けといてくれ]


「全く人の予定も訊かずに」

オレは苦笑するしかなかった。


当日、昼前に新宿駅で待ち合わせたオレたちは軽く昼食を済ませるとホームに停車している電車に乗った。

指定席なので安心だ。

ただこの電車は……。


「食べよう食べよう」

侑樹はリュックから次々と食料を取り出して見せた。

ほとんどスナック菓子だ。

それとコンビニのスイーツが数種類あった。


「相変わらずこの手のが好きだよな」

バリバリとポテチの袋を開けながら

「口はお子ちゃまなんで」

笑いながら侑樹はそう云った。

最初の頃はよく喋ったが、その内オレたちは寝ていた。


3時間くらい経った頃、目を覚ますと

窓からの風景にオレは頭の中がハテナマークだらけになった。

「ん?そろそろ着く頃か?」

侑樹もゆるゆると起きた。


そして今、オレたちは宿泊先の旅館に来ている。

もっと正確に云えば各部屋に付いてる露天風呂に入っている

「あー気持ちいいなぁ!生き返るわ」

ん〜!と侑樹が伸びをする。


「侑樹、オレは“夏にふさわしい”というリクエストを細やかに伝えておいたんだが」

「ふさわしいだろう?この澄んだ空気、緑」

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「確かに空気は美味い。がしかし、夏といえば普通“海”が浮かぶと思うんだが」

「いいや俺は山が浮かんだ」


「判った。侑樹がいいならそれが一番だ。

予祝はお前の前祝いなんだからな」

「光司には感謝してる。これで勉強にも身が入るよ」


風呂から出ると畳に寝転んだ。

川の流れる音が聴こえる。

寝かかった時、侑樹が云った。


「ここは以前に祖父と祖母の三人で泊まった旅館なんだ」

「……そっか」


侑樹の両親は会社を経営していた。

忙しい両親に代わって、侑樹はお爺さん、お婆さんに育ててもらったようなものだった。

運動会を見に来てくれたのも両親ではなかったし、遠足のお弁当を作ったのも母ではなく祖母だったと侑樹から訊いたことがある。


しかし二人共、故人になってしまった。

お婆さんの方は認知症になり、侑樹は大変だったようだ。


「あれだけ俺のことを可愛がってくれた祖母が、俺が誰だか分からなくなってしまった時、病気だと知っていてもかなりショックだった」

オレは黙って訊いていた。


「元気だった祖父が先に亡くなってしまい、そのことが理解出来ない祖母に分からせることは難し過ぎた。あ、赤とんぼだ」

侑樹に云われてオレも窓を見た。

赤とんぼが窓の外から俺たちを見ているようだった。


「秋が近いんだな」

オレがポツリと云うと侑樹は

「そうだな、秋なんだよな暦の上ではとっくに」


「祖父が亡くなったことは理解してない祖母だったけど、やたらと墓参りに行きたがるようになってさ」

「不思議だな」

「うん、これはこれで困ったよ」


「どうしてさ、遠いとか?」

「違うんだ。父と母が墓じまいをしてしまったから行っても更地になってるんだ」

「あ……永代供養かに変えたのか」

「祖母は怒ってね、『ご先祖様を、お父さんをこんなところに閉じ込めて!誰がやった、お前か!』

そう云って俺の首を絞めるんだよ」


そこまで話すと侑樹は黙り込んだ。

オレは侑樹の方を見れなかった。

泣いているのが判ってたから。


親同然に自分を育てて可愛がってくれた自分の祖母に首を絞められる侑樹の気持ちを思うと胸が詰まった。


ただ黙って川の音を聴いていた。

山もいいもんだな。

初めてそう思った。

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夕飯は部屋で食べられたのですっかり寛ぐことが出来た。

その後もオレたちは、たくさん話した。

くだらないことも、そうではないことも。

真夜中過ぎまで話し続けた。


山の中は暗闇が濃くその分、怖いくらいの星空が見える。

なんで怖くなるのか。

それは畏敬の念というか、畏れ多いものを見てしまったような感覚だった。


瓶ビールを飲んだおかげで、朝までぐっすり眠ることが出来た。

朝食を食べ、川沿いを散歩したオレたちは帰りの電車に乗り、都心を目指した。


それからは侑樹は受験の追い込みに入り、まだ内定をもらっていないオレは、

就活に必死だった。

100社近く受けて内定を取れたのは

1社のみ。


それでも滑り込むことが出来てラッキーだったと思う。

侑樹は薬学を学んで認知症の研究では最前線の研究所に入ることが目標だった。


そして予祝の効果も少しは役に立ったのかは判らないが、晴れて侑樹は大学生になることが出来た。

それ以来、オレと侑樹は会うことも無くなり、連絡もしなくなった。


けれどいつかまた、あの星空を侑樹と見に行けることをオレは楽しみにしている。


       了



























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