LOVE Letter
「行ってきまーす」
「一美、ちょっと待って」
「何?電車に乗り遅れちゃう」
母は私に封筒を一通、渡すと、
「駅までの途中で“魚辰”さんの前を通るでしょう。これをポストに入れてって」
「OK、じゃあ行って来る」
「気をつけてね、行ってらっしゃい」
私は毎日、朝陽を浴びながら駅までの道を少し急いで歩く。
バドミントン部の朝練の為、5時台の電車に乗る。
田舎だから電車の本数が少ない。
一本、乗り遅れたら次の電車まで50分待つことになってしまう。
それだと完全に朝練に間に合わない。
「“魚辰”さんのポストに、えい!投函完了」
母は魚を買う時に、前もって欲しい魚の名前と、調理法を書いたメモ、それと代金を封筒に入れて魚辰さんのオヤジさんに届けておくのだ。
そして仕事帰りに魚と、お釣りを受け取って帰宅する。
母は食べるのは好きなのだが、魚に触れない。
生臭さが、どうしても無理らしい。
たまに母がスーパーで鮭を買う時は、使い捨ての手袋をして鮭を焼いている。
食べ終えて食器を洗うと、泡石鹸で、何度も何度も手を洗う、そのくらい神経質になる。
早朝のホームには、既に20人くらいの人が電車を待っている。
都心に通勤している人が多いみたいだ。
ゆったり走りながら二両編成の電車がホームに入る。
待ってた人達は乗車して座席に腰を下ろす。
その中に、あの人もいる。
高校は違うけど彼も朝早い、この電車に乗ることにしているらしい。
「やっぱり朝練かなぁ」
この3年間、一言も話したことはない。
この3年間、ずっと彼が好きだった。
私の一目惚れであり、片思いの3年間だった。
彼はどこの大学に行くのだろう。
私は関西の大学に行くことが決まっている。
憧れの一人暮らしを楽しみにしていた。
だが、父の転勤が関西に決まった為、一人暮らしの夢はあっさり消滅した。
「あと何回、朝の同じ電車に乗れるのかな」
面長で鼻は高く、前髪が細いシルバーの縁のメガネに少しかかってる。
駅に着いた。
彼も同じ駅で降りる。
改札を出たところで、髪の長い女の子が彼に近づくと彼も笑顔になる。
彼には彼女がいることは、好きになったその日に知った。
アッという間の失恋だった。
それでも彼のことが好きだという気持ちは変わらなかった。
改札から、二人が寄り添いながら歩いて行くのを見るのは、胸がチクッとしたけど。
それでも毎朝、同じ電車に乗れることは、私にとって、幸せな時間であることには間違いないのだから。
来年からは彼の高校と統合することが、決まっている。
「一年早ければ同じ高校に通えたのに」
それだけは残念だった。
高校までは勾配のキツい坂を登る。
慣れるまで、太腿が筋肉痛になった。
冬の朝、凍結した坂道で何人もの生徒が
滑って転ぶ。
私も3回は転んでいる。
恥ずかしかったのは最初だけで直ぐに慣れてしまった。
バドミントン部の朝練と云っても部員の数は10人に満たない。
何とか廃部を免れている状況だ。
顧問の先生が“バドミントン愛”に溢れた人で、それが学校側に廃部をさせない原動力になっているとの噂だ。
本当かどうかは判らないが。
昼休み、私は仲のいい亜弓と校舎の屋上にいた。
二人共、屋上が気に入っている。
「気持ちいいね〜」
「うん、それにもう直ぐ冬だから、今の内にたくさん太陽を浴びておこう」
「そうかぁ、冬になるんだね」
亜弓が寂しそうにポツリと云った。
彼女は地元に残って美容師の資格を取るための専門学校に進む。
「行っちゃうんだね、一美は」
「そうだね。しかも初めての関西よ。馴染めるのかが心配」
「一美なら大丈夫だよ、社交的だもん」
「そうでもないよ。気を遣ってるんだから、これでも」
「え〜、そうは見えないけど」
「亜弓、ひどいじゃない」
私たちは笑った。その声を風が何処かに運んで行った。
「今はラインでもメールでも、繋がる方法なんて、幾らでもあるから思うほど寂しくないよ、きっと」
「うん。美容師になる為に頑張って勉強もしないとね」
「そうよ。私なんて将来の仕事については白紙だもん。自分が本当にやりたいことを、これから見つけて行くんだから。亜弓が羨ましい」
「ありがとう。頑張るね」
可愛い笑顔で亜弓は云った。
私は帰りの電車をホームで待っていた。
踏切の警報機が鳴る音がして、電車が見えてきた。
ハァ ハァ ハァ
見ると、息を切らせて、あの人がホームに駆け込んで来た。
帰りも同じ電車になるのは珍しかった。
私は電車の中で、あることを迷っていた。
「どうしよう。やめた方がいいだろうか。
それとも珍しく帰りも同じ電車になったのだから……」
もう直ぐ私の降りる駅に着いてしまう。
「よし!」
私は、ドアに寄りかかって外を眺めている彼に近づいた。
驚いたような顔で私を見ている。
私は鞄から封筒を取り出すと、彼に云った。
「あなたのことが好きです。これ受け取ってください」
頭を下げて封筒を差し出した。
彼から言葉が出るまで少しだけ間があった。
そしてその人は小さな声で云った。
「付き合っている彼女がいるんだ」
「知ってます。邪魔しようとか、そんなんじゃ全然ないです。3年間あなたを好きだったことを最後に伝えたかったんです。
自分勝手な行動だって知ってます。だから捨てて構わないです」
最寄りの駅に着いた。
彼は私の封筒をそっと受け取ってくれた。
「ありがとうございました」
そう云うと、その人は、
「いえ」
と云った。少し微笑みながら。
私は電車を降りた。
迷惑だと判ってる。
あの人が困ることも判ってる。
自分が自己中なことをしたのも、痛いくらい判ってるよ。
ごめんなさい。
私は改札を出て家に向かって走り出した。
「えっ!どういうことだ?」
魚辰のオヤジさんが封筒に入っていたメモを見て悩んでいた。
「いったいどうしたのよ、大声出して」
「だってお前、これ見てみろ。意味が判るか?」
女将さんがエプロンのポケットから老眼鏡を出して鼻にかけた。
「なぁにこれ。数字とローマ字と変な記号、メアドだって」
「ほらな、判んないだろ?」
「あ、でもここは読めるわよ。
『ずっと好きでした。 高田一美』だって」
「一美ちゃんって」
「あの一美ちゃん?」
夫婦は顔を見合わせた。
「一美ちゃんはオレのことが好きだったのか。しかし困ったなぁ」
西陽が照らす中、電車は走っていた。
彼は相変わらずドアに寄りかかり、外を見ていた。
視線を落とすと、さっき受け取った封筒を開けて便箋を取り出した。
「鯵をフライ用に。 酢蛸をぶつ切りに。
サーモンの刺身。 帰りに寄ります。
よろしくお願いします。 高田」
……暗号か?
了
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