#【結婚紹介所】
その夜は残業が長引いてしまい、私は足早に駅に向かっていた。
「女性をこんな時間まで仕事をさせるなんて、どうかしてるわ、今の職場」
私は不愉快な気持ちで、頭には“転職”の文字がチラついていた。
「あっ!」
自然と声が出ていた。
「こんな時間なのに、まだ開いてるんだ」
前々から気になっているお店だった。
いや、お店かどうかも分からない、怪しい建物。
人の出入りも見たことがない。
「いったい何をしている場所なのかなぁ?」
⭐️⭐️
その時、建物の中から、人の気配がした。
私は怖がりのクセに、変なところに好奇心が出る。
そっとそっと建物に近付いてみた。
「いらっしゃい。お待ちしてましたよ」
中から男性の声がした!
私は余りの恐怖で、その場から動けなくなったいた。
「どうぞ、中へお入りください」
ど、ど、ど、どうしよう。
私に云ってるよね?
「はい、貴女に云ってます。ずっと貴女が来るのを待ってました。怖くないので大丈夫ですよ」
この人、私が思ってること、全部分かるんだ。
私は覚悟を決めて、入ることにした。
中は案外、明るかった。
でも、やっぱり何の建物なのかがわからない。
「ようこそいらっしゃいました。時田彩乃さん」
いつの間にか、目の前に一人の男性が立っていた。
⭐️⭐️
まだ割と若い男性が、ニコニコしている。
「どうぞ、お掛けください」
私は少しずつ恐怖心も薄れ、ソファーに座った。
「先ずは、僕の自己紹介をします。職業は、結婚紹介所の代表を務めております」
「結婚紹介所……」
「はい、そうです。でも普通の紹介所とは少し違います」
「……」
「時田彩乃さん、47歳、独身。家族はお兄様が一人。御結婚されて別に住まいを構えてらっしゃる」
「……はい」
「ご両親は他界されていますので、貴女が、お一人で家に住まわれています」
⭐️⭐️
「あの、私のことを、かなり詳しくご存知のようですが、何故ですか?
確かに私は独身ですが、特別に結婚願望は、ありませんよ」
「彩乃さん、貴女はご自身のことをよく分かっていらっしゃらないのです。その事を貴女に伝えたい、そう思っている方がいるのです」
「誰ですか」
「今の時点では、まだ申し上げる事は出来ないのです。規則がありまして」
「帰ります」
私はソファーから立ち上がった。
「待ってください。もう少しだけお付き合いください。お願いします」
私は、仕方なく座り直した。
「その男性の方を、貴女はご存知です」
「えっ?私が知ってる方なの?」
⭐️⭐️
「はい、そうです」
「いったい誰なんですか?それとも私を、からかってるの?」
結婚紹介所の代表は、しばらく黙っていた。
そして、決意したような目で、私を見つめた。
「その男性は、柴田朋彦さんと、おっしゃる男性です」
「柴田……朋彦さん……」
「思い出しましたか」
「忘れるわけないです。でも柴田さんは、もう……」
「はい、柴田様はこの世には居ません。
20歳の時に病気で亡くなっています」
「その柴田さんが、私に話しがあると、そう云っているのですか?」
「はい、その通りです」
⭐️⭐️
私は信じられずにいた。
だって柴田さんは、とっくに亡くなっている。
その人が私に話しがある?
どう考えてもおかしな話しだ。
ここは、やっぱり怪しい所なのだ。
もう帰ろう。
「彩乃さんが信じられないのは、当然だと思います。僕からお伝えすることは以上です。あとは、柴田さんとお二人で話してください」
「話すって云っても」
「彩乃ちゃん」
「……!」
私の前に、彼がいた!どうして?なに、なんなの。私は変になってしまった?
「彩乃ちゃんは変になってないよ。驚いて当然なんだから」
「……本当に?本当に柴田さん?」
「はい、柴田朋彦です。久しぶりだね、彩乃ちゃん」
「あの時のままなのね、二十歳の柴田さんのままね」
柴田朋彦は、笑顔になった。
「あっちの世界では歳を取らないからね。
良かったよ、彩乃ちゃんが信じてくれて」
⭐️⭐️
「それで、私に話しって何?」
「そうそう、その事を云いに来たんだ。あのね彩乃ちゃん、なんで結婚しないんだい?やっぱりオレの事が原因なんだろう?若い頃に死んじゃったから、ずっと引っ張ってるのかと心配で」
「相変わらず自信満々な人ね、確かに柴田さんのことが好きだったわよ?だから急に逝っちゃってショックだったのは本当」
「やっぱりそうか」
「話しを最後まで聞いて。あの頃は両親も亡くなってしまったから、もうどうでもよくなったのよ。柴田さんのことだけが結婚を考えなくなった原因じゃないわ」
「だったら、もうそろそろ自分の幸せを考えて欲しいんだよ。今までだって彩乃ちゃんが好きな男は何人も居たのに、もったいない」
「そんなの私の勝手でしょう?」
「原田って居るだろう?アイツもキミに惚れてたから、プロポーズしたのに断っただろ?」
「悪いけどタイプじゃないんだもの」
「やっぱりオレのせいだ」
「えっ?」
「オレも男だ、こんなに健気に惚れ続けてくれる彩乃ちゃんを幸せにする!」
「いったい、どうしようと云うのよ。柴田さんは、あの世の人でしょう?私は違うもの」
「だから、彩乃ちゃんを連れて行けるか訊いてみる」
「訊くって誰によ、それに私は行きたいなんて云ってないし」
「こんなこともあろうかと、死神を呼んである。オーイ、死神、来てくれ」
「へいへい、呼ばれるのを、お待ちしてましたよ」
そう云いながら小柄な老人が、いそいそとやって来た。
「彼女をあの世に連れて行けるか調べて欲しいんだよ」
「分かりました。ではさっそく」
老人は、ちょこんと椅子に座ると、持っていたパソコンを開いた。
「へえ、今時の死神はパソコンを使うんだな」
柴田さんが、珍しそうに、云った。
「便利ですからねぇ。えーと、時田彩乃さんはと」
カチカチカチ
「あ〜、柴田さん、この方はまだまだ長生きしますね。まだあの世には連れて行けないです、残念ですが」
「そうか、分かった。ありがとう」
「お役に立てませんで。失礼します」
老人はパソコンを大事そうに抱えて、戻って行った。
⭐️⭐️
「そういう事だから彩乃ちゃん」
「なにが、そういう事よ、一人で勝手に」
「柴田さん、時間です」
結婚紹介所の代表の男性が、そう告げた。
「もう、そんな時間ですか、分かりました」
「彩乃ちゃん、オレはそろそろ戻らないといけないんだ。でもね、最後に一つだけ大切なことを話すよ」
「なんですか」
私は半分、呆れながら、そう云った。
「もうすぐ彩乃ちゃんの前にバツ1の男性が現れる。すごくいい人だよ。今度こそ、逃げないで、幸せを掴むんだよ」
「逃げてなんか……」
「いや、彩乃ちゃんは、自分が幸せになる事から逃げてきたんだ。
もう逃げちゃダメだよ。キミは幸せになっていいんだ。それからご両親のことは、仕方がなかったんだ、病気だからね。
彩乃ちゃんが責任を感じる必要はないんだよ。じゃあ行くね」
柴田さんは、あっという間に消えた。
私はしばらくソファーに座ってた。
呆然としている自分がいた。
でも、いつまでも、こうしている訳にもいかない。
「よし!帰ろう」
気合いを入れて立ち上がり、表に出た。
「ご利用、ありがとうございました」
結婚紹介所の男性が、そう云っていた。
⭐️⭐️
それから少しして、私は転職をした。
この歳で採用されてラッキーだったと思う。
そして、あの結婚紹介所の建物は、消えるように無くなっていた。
出社初日に、直属の上司に挨拶に行った。
穏やかそうな人だと感じた。
「時田さん、肩に力を入れ過ぎずにね」
上司はそう云ってくれた。
私が自分のデスクに戻ると、隣りに座っている若い女性社員が話しかけてきた。
「時田さん、宜しくお願いします。
働きやすい職場ですよ、ここは。
上司が優しい方だと、社内の空気も良くなりますね。バツ1らしいけど」
(完)
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