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ぎっくり腰と髭男

12/30にぎっくり腰になった。
なんとか帰省する特急に乗ったものの、痛くなる一方で、実家に着く頃には這わないと移動できないくらいひどくなった。

大晦日は祖父母の家に行ってみんなで年越し蕎麦を食べるというのが毎年恒例なのだが、
祖父母の家まで移動するとかもう絶望的に無理で、「あぁこれはもう1人でどん兵衛で年越しだ」と覚悟したけど、
ロキソニンと湿布でなんとか奇跡的回復を遂げて、無事に年越しできた。ロキソニンはすごい。あいつは世界を救う。


さて、本題なのだが、年末によくやる歌番組を観ていると、いよいよ音楽シーンのターゲット層から外れてきた(=歳を取った)んだなぁと思う。もうよく分かんない曲がいっぱい。

音楽はどの世代にも必要なものだけど、やっぱりとりわけ思春期の若者には必要不可欠というか、音楽が一番効果を発揮するのはその時期だと思う。
だから思春期に聴いた曲は思い出補正が入って、どの世代でも懐メロは輝き続ける。

そうそう、私が思春期の頃にはアヴリル・ラヴィーンが大流行して、私も好きだったのだけど、
この前久しぶりに「complicated」を聴いて、あぁもうあの反骨精神の塊みたいな美しき不幸なアヴリルとそれに惹かれた自分の若い感性も戻ってこないのだと思い懐かしく寂しく悲しくなった。
幸せなことは間違いなく良いことなのだけど、幸せな人には決して生み出せない美しいものがこの世にはあるのだ。


話が脱線した。時を戻そう。

12/30に鳥取に帰省したら、親がOfficial髭男dismを知っていてびっくりした。何故かと聞いたら山陰出身だからと言われて初めてその事実を知った。
調べたらボーカルとドラムが鳥取出身、ギターは島根、ベースは広島、らしい。

人口が日本一少なく砂丘くらいしか知られていない鳥取からそんなバンドが輩出されていたなんて。素直に嬉しい。紅白にも出るなんて。誇らしい。

恥ずかしながらちゃんと聴いたことがなかったので「pretender」をyoutubeで聴いてみたら、「あ、この曲って髭男だったの!」と。色んなとこで聴いたことあったわ。ちゃんと知らなくてごめん。

そこから何度か繰り返し聴いたら「めっちゃ良い曲やん」てなってすっかり口ずさめるようになってしまった。

そしてツイッターを見ていたら興味深い考察があった。
https://twitter.com/matchappsaki/status/1211963544184295425?s=21

つまりは意味合いを少しぼかすことで誰にでも当てはまる歌詞にしているというもの。

聴けば聴くほど、なるほどなぁと思えてくる。
誰にでもある(もしくは過去にあった)叶わない恋に当てはまる、でもとても解像度の高い言葉たち。

個人的にはサビの最後の「君はきれいだ」がとても効いていて良いなと思う。

好きだとか愛してるとかじゃなく、「きれいだ」の一言で、その叶わない切ない想いと、届かない距離感を表現している。

かつての私が聴いたら「あぁこれは私のことを言ってる」と思っただろうし、いま日本中でそう思ってる人がたくさんいるから、こんなに多くの人に支持されて紅白にも出たんだろう。

この歌詞は日本中の数えきれない叶わない恋に寄り添っているのだろうなぁと思うと、心臓がギュッとなる。

不倫や片想いなどの叶わない恋が報われ輝く瞬間というのはとても少ない。
ちょっとでも「悪くないよな」と思える時間を作ってあげられる音楽は尊い。


そんなことを思っていたら年が明けた。


遅ればせながらあけましておめでとうございます。

今年はもっとどうでも良いことをつらつらnoteに書いていきたいなと思っているので何卒よろしくお願いします。

ちなみに今年のおみくじは吉でした。普通。

グッバイー

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