母の命日
私の人生で一番辛かった日から5年が経とうとしています。
最愛の母が急逝してから5年、幸いなことに私の心には母の笑顔と、私にくれた大切な言葉だけが残っています。
5年前、母は急に私の前からいなくなりました。
父からの電話を受けてから、実家に戻り、あっという間にお葬式が終わり、母は骨になりました。
前の日まで普通に電話で話していたのに・・・・翌日大阪に来て、一緒に海外旅行に行く予定だったのに・・・。
その翌日の予定が一転、母は数日後に骨になったのです。
人の命ってこんなにもあっけなく無くなるものなんだと感じました。
数日間は何も考える余裕がありませんでした。
その後半年くらいは、母が死んだという現実を受け止めることに苦しみました。
それから今度は、最愛の母が死んでも、世の中は普通に流れていることの虚しさに向き合いました。
母の死は私の人生の価値観を大きく変えました。
あれから、私は結婚して、フリーランスとして新しい学びを得ながら仕事をしています。
母は今の私にどんな言葉をかけるだろうか、
母が人生でやり残したことはなんだったのだろうか
今でもふと思いを寄せる時はこんなことを頭に思い浮かべます。
あれから5年も経ったなんて、信じられないけど、今の私の生きる原動力は間違いなく母がくれました。
もともとは口うるさく、世間体とか自分の価値観をおしつけてくるような母親で、20代前半くらいまで私たちはよくぶつかっていました。
私は地元を出て東京や大阪で働いていたし、その後海外に住んだり、また日本中いろんなところに仕事をしながら住んでいました。
30代を過ぎた頃、周りの友達も結婚していき、結婚していない人はご多聞にもれず親や周りからのプレッシャーに悩まされる時期。
私は海外に行ったことがきっかけで、価値観もかなり変わっていたので、そういう周りの声には耳をかたむけることはありませんでしたが、日本社会にいると嫌でも、社会の風潮に流された価値観が自分を襲うことがあります。
そんな時に母が、『周りがなんて言おうと生きたいように生きなさい。世界中の全員が反対しても私はあなたの味方でいてあげる』と言ってくれました。
なんの話の時に言われたかは思い出せないのですが、この言葉はその後の私の人生を支えてくれました。
私はメンタルは強いほうだと自負していますが、この言葉を言ってくれた母のような母親に育ててもらったおかげで、今の自分があるのだと気付きました。
いくら心が強い人でも、自分を否定せずに受け入れてくれるということがどれだけ心強いでしょうか。
今でも、自信がなくなりかけたり、へこたれそうになると必ず思い出す言葉です。
私は自分に子供がいないので、母親としての本当の気持ちはまだわからないのですが、母は『私は子供たちに母親にしてもらった』と言っていました。
自分も20代後半で独身女性から母親になり、今まで自分のことを一番に考える人生から子供や家族のことを一番に考える人生という大きな変化を体験したわけです。
きっと、そこから私が大人になるまでいろんな葛藤があったのだなと感じます。
どんな親でも皆、子供に対して愛情があるからこそ、口うるさいことを言うし、それがきっかけで親子関係が険悪になったりもします。
そういう時期を経て、自分が今の年齢にになって思うことは、親も人間なんだということ。
一人の人間として、という価値観で改めて母を思い出すことがあります。
一言で言うと本当に強く美しい心を持った人だったって思います。
あの溢れ出る愛情は彼女が本当に強い人間だった証だと今でもあらためて感じるのです。
母親という面で、彼女を思い出すと『あいたいな〜』っていう一言です。
もう一度母に会いたいです。
いつでも私の中で一番会いたい人です。
それと同時に、彼女は人として、女性として永遠に私の憧れであり目標とする人です。
今になって、生前、母が私にいろんなことを話してくれたおかげで、思い出すたびに、人として大事なことを思い出させてくれます。
心の中で生き続けるってこういうことなんだなって今この文章を書いていて思います。
そんなあなたと出会えた人生は、それだけで幸せです。
ありがとう、お母さん。
5年目の命日に感謝を込めて。
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