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【エッセイ】毛のこと


 会社の行き帰りを自転車通勤している。
 理由は痩せるため。
 最近、目に見えてふくよかさに拍車がかかっているので、ここらで歯止めを効かせたい。
 そうなると、通勤は自ずと短パンになる。
 短パン自転車肥満おじさん全力爆進街道通勤なのである。
 である、ではない。

 さて、しかし、なのだ。
 ここで私には一つの問題がのしかかる。
 『毛』である。
 私は『毛』が非常に濃いのである。
 短パンを履けば、それはもう顕著な毛。 
 まごうことなき毛。
 自他ともに認めるところの毛が現れる。

 もちろん人間。
 脛の毛くらいは生えているだろうという話なのだが、私の場合は密度がすごい。
 こんな話、自分でしたくない。
 でも、仕方がない、爆毛なのである。

 加えて私は肌が白い。
 真っ白なキャンパスには様々な色彩が映える。
 ただでさえ濃い黒をさらに引き立たせることに成功しているのだ。
 爆毛白地である。新しい四字熟語を生み出した。
 
 短パン自転車肥満おじさんすね毛全力爆進街道通勤なのである。
 

 ところでみなさんは短パンを履いているだけで、すね毛が濃いというヒソヒソ話をスターバックスでされたことはあるだろうか。
 私は、ある。
 それも今年の春だ。

 女子高生二人組に「すね毛濃すぎへん?」と、笑われたのだ。
 嘘だろ、と思った。
 ただ、短パンを履くというだけで、女子高生二人の話題もちきりに出来てしまう濃さなのか、と唸った。

 春に短パンを履いたから笑われたのか。春に短パンを履くにしては、あまりに濃すぎる毛だろう、そんな認識から来る笑いだったのだろうか。
 或いはスタバに来るには濃すぎる毛量だったか。何がキャラメルフラペチーノだ、すね毛しまって出直してこいバーカ的なことだったのか。

 別に私だって短パンを履いているのは周囲にすね毛の濃さを自慢したいからではない。
 見てよ、この剛毛、みたいなスタンスではやってないのだ。短パンは決して、すね毛の広告塔じゃない。
 
 このような形で、私はことあるごとに毛に悩まされ続けてきた。 
 

 そんな、ホルモンバランスで生じる無価値な無駄毛。

 臑毛や胸毛、腕毛など様々な箇所に点在するが、私のホルモンバランスが悪意に満ちていたからか。
 あろうことか背中に毛をもたらした。
「いやいや背中に毛くらい」と思うだろが私の背毛(せげ)は濃い。
 紗々くらいある。

 たぶん小さな羽虫くらいだったら密林のごとく彷徨い歩くだろう。
 漆黒のラビリンス。
 履き違えたワイルド。
 背中に広がるワイルドエリアは今日も一人のおじさんを悩ませる。
 KinKi Kidsは「僕の背中には羽根がある」と歌ったが私の背中には背毛がある。
 だからなんだ、だ。

 背毛の生えそびえる人生でなければ、背中で語る人生を送りたかった。
 何も語らず態度で示す。
 しかし私の人生は背毛の人生なのだ。
 背中で語るには雑音が凄い。
 不純物が浮いている。
 前を向けば胸毛やら腹毛やらも凄い。
 熊と人のキメラ。
 化け物。

 一番私が『化け物み』を感じるのは T字の剃刀で背毛を剃る時である。
 これが私の生命活動においてベスト3くらいに意味がわからない時間だ。
 まず、押し寄せる何やってるんだろう感。
 背中に手を回して剃刀で剃るとき、私は自分が人ならざるものから、人間へと仮装しているような気持ちになる。
 下界に降りるための下準備というか。
 しかし私は人間なのだ。なぜ人間が人間らしく振る舞うために工程を挟んでより人間らしい方へと正装しなければいけないのだろう。
 
 だから私は言葉を紡ぐ。
 それは趣味や実益を超えた、人間としての証明を行うため。

 無駄毛は生えるが心は人間であるのだ、と女子高生の笑い声やT字の剃刀に決して挫けず勝ち誇るため、である。

 しかし、夜。
 耳を澄ませて欲しい。
 パソコンの打音と共に、そこには悲しい怪物の咆哮が聞こえてくるかもしれない。

「けーっ!」
というけたたましい雄叫びが。


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