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どんなに大きな数も「1」の集まり

何年か前に、あるジャズミュージシャンのライブに行きました。

そのミュージシャンのライブは初めてだったのですが、友達を誘って行きました。

会場はジャズバーで、定員は30~40 人位だったと思います。

当日行ってみると、お客さんは私たちを含めて10人もいなくて、それもバンドメンバーの身内とか知り合いがほとんどだったようでした。

ライブの途中のmcで、そのミュージシャンが沈痛な面持ちで語り始めたのは、その日すぐ近くのライブハウスで海外から来日している人気ミュージシャンのライブが行われているとのことで、自分のライブにはお客さんが殆ど来ない。ミュージシャンとは厳しい仕事だ…。そんな話でした。

そんな話を聞いているうちに、私はなんだか申し訳ないような気持ちになっていきました。

「なんか、私たちだけでごめんなさい…」

私たちはその日を楽しみにお店に予約を入れて、私は早目に家族のご飯の支度を済ませて、友達は仕事が終わってからわざわざ足を運んだけれど、少ないお客さんの中のたったふたりで、ごめんなさい。

そんな感じになってしまいました。

でも、その日はたまたま来日ミュージシャンのことがあって、その人もガッカリしていたのだろうし、そんなこともあるよね。

その日、そのミュージシャンの演奏は良かったので、私はCDを買って帰りました。そして「楽しかったです!」と帰りがけに声をかけてジャズバーを出ました。

しばらくして、またそのミュージシャンのライブに、別の友達を誘って行ったのですが、やはりそこでもお客さんは少なくて、そのミュージシャンの集客についての重たい話が始まったのでした。

気持ちは分かるんだけど…それ以来そのミュージシャンのライブには行かなくなりました。(演奏はとっても素敵なのに…。)

満席で盛り上がった方がいいし、ミュージシャン側は営業的に厳しいのは分かります。生活がかかっているならなおさらです。

でも、場合によってはお客さん側としては、たったこれだけの人数の為に演奏してもらえるなんて贅沢だなぁ…なんていう嬉しい気持ちもあったりします。

お客さんの総人数が何人であれ、一人ひとりがその時間を楽しみに来ていることは変わりありません。日常の中の楽しい時間を求めて来ています。

愚痴ってはいけない…という話ではなくて、でもライブのその時間だけは、来ていない人のことを考えるのではなくて、来ているお客さんを見て欲しい…そんな風に思いました。

お客さん側としてそんな体験をして、今度は自分が発信する側になりました。

CD一枚を買ってくれる人の気持ちがありがたいです。お金を払い、このCDを聞く時間を持ってくれるのだと思うと嬉しくなります。

YouTubeのアクセスもそうです。聞いてくれる人の総数より、アクセスがひとつ増える度に「ありがとう」と思います。

私はYouTubeのアナリティクスを見る時には、視聴回数より視聴者維持率の方を見ます。1日に100人が視聴してくれていても、最初の10秒か20秒しか見てくれないのだったら、1日にたった一人でも最後まで視聴してもらった方が嬉しいです。(収益化している方や、それを目指している方はやはり視聴回数も大事なのはもちろんですが、私はただただ聞いてもらいたい…だけなので。)

同じように、noteのみなさんのアクセスやスキ♡の一つひとつも嬉しいです。

どんなに大きな数も、「1」の集まりです。

「1」は10分の10、100分の100、1000分の1000でもあります。「1」という数の中に大きな数を含んでいます。

それは一人の中に大きな気持ち♡が入っているということでもあります。

そう思うと、「1」の大きさ、有り難さを尚更感じられます。




昨日あるセッションで、私のCDを買ってくださった方たちに生まれて初めてのサインなるものをしました。

doe4のメンバーも一緒にいて、サインをするというちょっとした時間に、あれこれ冗談を言ったり、「メンバーさんはどんなサインをするのかな〜」と覗き込んだり…お楽しみの時間になって、こういう経験ができるのもありがたいなぁと思いました。☺️


ちょっと大変だったけれど、CD作って良かった。

いろんなことにありがとうです。








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