勝手にチャレンジ1000 0100 祝100回!何事も実践あるのみ。千里の道も百歩だわ。

 100回にして告白します。
 実は、私は別に園芸はそんなに好きではなかったのです。小学校でもお花を育てる園芸委員をするなら、ウサギやニワトリの世話をする生物委員、いきものがかりの方がまだすきだったし。だけど、やっぱりそれも毎日エサやりや掃除があるし、ちょっとめんどくさいな、と思ってしまうような子供でした。やりたかったのは本を読むことだけ。完全なるインドア派で体を動かして花壇を作ったり、花を愛でたり、戸外で緑を楽しんだり、ということにはあまり関心がなかったのてした。しかし、うちには農家出身の祖母がいました。町家の小さな庭でも、なにがしかの花を植え、秋には菊を作り、1株2株、茄子とかきゅうりを育てて楽しんでいたおばあちゃん。おばあちゃん子の私はこの祖母にくっついて、言われるままに水を撒いたり土を運んだり、季節ごとに何かを植えたり、抜いたりしたりもしました。やりたくはないけど、別にいやがるでもなく、殊更花を育てたり、園芸を楽しむというのでもなく、面倒くさかったり、楽しかったり、その時々の気持ちで草花と向き合っていたように思います。
 そんな私に、園芸や庭というものに対して、良いイメージをもたらしたのは、「秘密の花園」「トムは真夜中の庭で」「みどりのゆび」、という3冊の本でした。
 

言わずもがなの児童文学の名作です。秘密の花園作りや庭の授業を通じて成長する子供たちの姿や、変化する人間関係。廃園がよみがえる様子に夢中になりました。真夜中のの庭は庭というもの自体の魅力がつまっていました。
 とはいえ、これは物語のなかでのこと。私の実人生に於て自分の庭をどうにかせねばならないなんて日が来るとは思わず、相変わらず植物園より動物園がすきなわたしでしたが、結婚して住んだ家にはそこそこの広さの庭がありました。

 お尻の気持ちもわかってほしい80年代のアイドル?戸川純の歌に 「屁理屈ボーイ」というのがあって、恋愛について頭でっかちな男の子に「方法論でなり立っても実践性にかけているのよ」という歌詞があるのですが、まさに私は恋愛でなくても何事もそういうタイプ。本ばっかり読んでたので、やり方知ってるけどやったことないことも多々ありました。

 実践する。

まさに、そのチャンス!
そう思ったら、おばあちゃんと一緒にあれこれ育てた日々や、本を読んでいいなと思ったことなど色々思い出します。また、先住の人々の置き土産で、実のなる木やハーブ、庭で食べられるものが育つ嬉しさも知りました。

 以来30余年。

義父が作っていた花壇もなくなり、一旦は頑張っていた芝生もなくなり、子供のための砂場は池になったりして、変遷もあり、今のところ管理の行き届いた美しい花が咲き乱れるようなお庭にはなってないけど、来るもの拒まず、去るもの追わず、いてほしいものは優遇したり導入したりで、私たち夫婦の力の抜け具合が反映された、様々な雑草が繁る、空き地のような庭が出来上がってきたように思っています。数年前からは柚子が実ったり、ふきのとうの数が目だって増えてきたり、受粉木が折れたので一本では実はならないと諦めていたすももが実をつけたり、柿のサイズが大きくなったりと、なにかとなり物が充実してきたような気がします。この庭ができて64年たち、私たちが引き継いで30年以上が過ぎ、庭が熟してきた、というか、なにか、成熟の時を迎えているのかもしれません。もちろん栄枯盛衰もあるし、まだまだ流動的なのですが。

 庭の日記もようやく100回です。それほど園芸好きなわけでもないのですが、庭と共に1000回、書き続けていけたら、それこそが実践というものになるであろうと期待するのでした。
これからもよろしく。


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