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ある日突然「そうしよう」と思ったこと

仕事をしていて
ある日、突然
「これからは、そうしよう」と
思ったことがあります

今まで考えてたことがありませんでした


それは
対、人にでも物にでも
『期待をしない』ということです


私も、そう思ったことが多々
「期待して、損した」と

そこそこショックというか
残念値が高くなります

もちろん、そう言われたこともあります
そう言われると、チョット凹みます

相手に対してそう思っても
相手からそう思われても
結果、後味悪い感じになります


だから、まずは
自分から

「期待しない」ことにしました

多くを求めない
私の一方的な
自分の思い=期待と違った時に
相手に対して、ほんの少しでも
不満感を感じたくないと思うので


言われることに対しては

心の中で
「あなたが勝手に期待しただけでしょ?」
と思うようにすることに
チョット凹む程度で済むように
「私は"期待して"とは言ってないし」
と、自分の機嫌を取るようにしています



「期待しない」ことの方が
自分のことだから
対処はしやすいけれど
「期待して、損した」と言われることは
相手の思いだから
対応が難しいです

「期待して待ってるよ」と
言われたら
「期待しないで」と先に
言っておく事で自分を守り

結果として
「期待して損した」と
言われたら、一旦
第一声は「ごめんなさい(ごめんねー)」
そして
「期待されてると思っていなかったから」
「私に期待することが、間違いやよ」
と、遠回しに
"あなたが勝手に期待しただけ"だと
伝えるようにしています


基本的に
自分がされてイヤなことは
相手にもしない
がポリシーなので

「期待して、損した」
そんな風に思われたくないので
まずは自分そうしないようにすることが
自分にとっても
無駄な神経を使わずに済む方法の
一つだと思いました

気分よく、機嫌よく
イライラせずに
楽しい時間を過ごすことの方が
私にとっては大切です

「期待して、損した」と
勝手に期待して
自分の思い通りでなければ
不機嫌になったり
相手に対して失望するのは
自分の時間を大切に=自分自身を大切に
出来ていないような気がするように
なりました

決して
「期待する」ことが
悪いことだと思っているワケではありません

「こうだといいな」
「こうなればいいな」
と思うのは普通のことだと思います

その期待値の度合いだと思います
その物や人に対して
自分の好みの問題が大きく関連している
と思います

そもそも
好きでもない、興味がない物や人に対して
《期待》はしないと思います
好きだから、興味があるからこそ
「期待して、損した」と思うのでしょう

でも
《好き》《興味がある》だけではなく
《損得》で《期待》することの方が
シチュエーションとしては多いような気がします

だから「期待して、損した」と
《損》という表現になるんだと思います

最初に過度な『期待をしない』ようにすれば
「損した」と思うかもしれない自分に対する
ネガティブな部分が減ると思うのと
『期待をしない』でいれば
結果が逆だった時の感動や喜びが大きいと思います


コロナ禍以降、本当に色々な事が変わりました

人や物との関わりがあっての生活も
その時間が減ったことによって
自分自身を振り返り
今まで持っていた思考が変わったことも
実感しています

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