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結婚式と披露宴の体験記(北海道)

こんにちは(^^

今日は、結婚式と披露宴の時のことを、思い出しながら綴ってみます。1998年6月 とある週末です。

式 直前の3ヶ月、私は意図せず無職でしたが、式の下準備や打合せを日中にスケジュールできて、ちょうど良く過ぎていました。彼との同居の準備も、少しづつ進めています。

私側の両親 親族の大半は、式を挙げる都市から330km離れた、オホーツク海側の酪農村 在住です。300km超えの感覚は、東京からは名古屋、福島、新潟。大阪と松江、神戸と広島...の距離感です。

両親は、親族用バスをチャーター。前日から市内に団体で泊まり、前祝いを行ってくれました。私も顔を出し、親族皆さんや、私の最初の家族が揃って写っている、独身最終日の写真は、今でも私の宝物のひとつです。(^^

実は、前日は土砂降りの雨と雷でした。会場となる教会の横を、チャーターバスが経由してくれたのですが、大雨でよく見えなかったようなのです。

翌日は雨上がりの快晴✨。空気も一新、気候にまで祝福された印象でした。

午前2番手の式。それでも早朝から、みなさん予約していた教会併設の美容室で、着付けやヘアセットに大忙しです。私も披露宴ホテルの美容室で、彼と共に整えていただき、教会へ駆けつけます。

全員が揃い、午前の明るい日の光が差し込む、大理石 仕立てのホールで、集合写真を撮りました。

この時に、仲人役を引き受けてくださった、彼の上司夫妻に、お礼の挨拶をしました。そして夫側の親戚も、次々紹介されてお会いしています。この後、集合写真を何度も見返しては、少しづつ覚えていきました(^^

は、父の腕に手を添えて、パイプオルガンの生演奏のなか、バージンロードを歩いての入場。慣れないドレスの裾を踏まないように、そしてブーケを持つ手の位置が、高くなりすぎないように...

歩いて、跪いたり、指輪の交換、向かい合ってキス、手を上げて誓って...。父は感激で緊張、彼も緊張、私も気を配ることが多くて、緊張していました...(笑)

一生に一度の時間。自分なりに満足。体験させていただきました(^^

式が終わり退場するとき、ようやく皆さんの感動している笑顔を見ました。拍手で迎えられ、フラワーシャワーを受けながら改めて感激し、幸せな気持ちで胸がいっぱいになりました。ブーケトスもしました(^^

そして披露宴会場へ。家族や参列者はバスで移動。新郎新婦は、いくつか撮影の後、人生初のリムジン✨に乗って移動。

披露宴は お昼ころスタート。和風フレンチのようなコース料理です。高砂の下には、もちろんバケツがありました(笑)

夫の側は、親族と会社関係者が多数、そして友人。私側は、親族多数に、友人、もとの職場の方が数名...です。全120名ほどの規模です。北海道では会費制が一般的で、祝賀会のようなノリです。

一度だけ、お色直しでカラードレスに着替えて、再入場。自分たちで選んだ曲のなか、キャンドルサービスの時には、どの卓でも、多くの皆さんからお祝いの言葉をいただき、本当に嬉しかったです。

友人代表は、小学~高校と美術部も一緒だった親友。関東から駆けつけてくれて、素敵なスピーチにほろりとさせられて。余興は、小学からの友達に数人で歌っていただき、夫の側からは会社関係者でノリのいいユニークな出し物だった記憶。両親への手紙は、ふだんでは恥ずかしくて言えなかった、お礼を込めて。

披露宴の退場のとき。盛り上がっていた職場の方々に、サプライズで胴上げされて、驚いている夫。そのシーンを感動して眺めながら「この人で良かったな...」と思いました。

式と披露宴が終わった後。私側の親戚一同が、ホテルの大きな部屋で休憩しているところに、もう一度、お礼に伺いました。70~80代の祖父母4名と親戚筋の90代のお爺ちゃんも来てくれています。

前日の長距離バス、早朝からの準備と式イベント、そして会場移動...みなさん、興奮状態とお疲れの様子が、入り混じったような感じでした...本当にありがとう(涙)

※後日談。祖父母や90代のお爺ちゃんも「本当に良い思い出ができた...」と、何度もこの時の話で、楽しんでくれたそうです。

あとは計画通り、両親に任せて、私は自分のこと(発起人が企画してくれている2次会)に向かいました。

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そのお気持ちが、もう嬉しいです♡ お互い幸せに、栄えていきましょうね(^^