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義両親と隣居を始めたころ

こんにちは(^^

今日は、結婚した後に、義両親の隣へ、引っ越したころのことを綴ってみます。1998年の秋~冬です。

義両親は、義父方 祖母の認知症の心配が始まっていて、同居のために、祖母側の家を建替え新築していました。祖父は早くに亡くなっています。

すると今、暮らしている古い家が空きます。そこに、私たち夫婦が、格安で暮らす話で決めていました。

秋。実際に、引っ越してみると...とても広くて、ちょっと怖い(笑)。

手前の古い家側は、昔風の板廊下で、照明なし。両側に、続き間のある感じです。急こう配の階段の2階には、床がたわんだ感じのする、明るい屋根裏 部屋。台所やトイレは、古い家側でした。

奥には、建て増しの建物が、渡り廊下で繋がっています。お風呂場と、別の階段があり1~2階に3部屋。この奥の建物が暮らしやすいので、パソコンルーム&仕事部屋、寝室として使いました。

手前の古い家側の2部屋は、義両親や私たちの荷物部屋にしたまま暮らし始めました。冬には氷点下になっていました(^^;

台所は古い家側です。床板が冷たく、色も暗いので、たたみ内装店の父親からクッションフロアを取り寄せて、自分でコツコツ敷いています。お古の本棚などは、好みの色ペンキで塗り、再利用した記憶です。古い家側の暖房は、居間だけです。台所の裏には「室(むろ)」がありました。

灯油ストーブの煙突掃除などは、義母にやってもらっていました。古い家のカーテンは、義母の手製。カーテンレールも、見たことの無い、古いタイプの物でしたが、今となっては懐かしい思い出です。

居間には出窓があり、庭が見渡せます。亡き義祖父 自身がこの家を建てたときには、近所の方が羨ましがるような、珍しくて立派な家だった...とも伺いました。

このころ、私は単発で製図の仕事を引き受けていて、その受注日や納品日に、2人で家から通勤したこともあります。バス停まで一緒に歩いて、地下鉄に乗り換えて。街中の駅で分かれて...。

2人して働くなら、こんな感じかな...と考えていた記憶です。混み合って降り損ねそうなバス、夫に続いてどんどん前に出て行ったこと。その頃だけの特別な印象で、今でも懐かしく思い出します。

このころ。パソコン通信のオフ会で、合同の祝賀 飲み会🍻を開いていただいています。気が付くと、私たちを含めて4組が、この年に結婚(パソ婚✨)していました。オフ会 常連の皆さんのご厚意で、お祝いコメントの綴られたプリントを、それぞれにいただきました。

結婚された他の方々とは、連絡先を交換し合い、しばらく年賀状でのやりとりを続けました。

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そのお気持ちが、もう嬉しいです♡ お互い幸せに、栄えていきましょうね(^^