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受け止めるまでの時間

こんにちは(^^

今日は、長男 T に、自閉症の可能性を指摘され、私がある程度 受け止める...までのことを綴ります。2003年 春~ころです。

児童相談所での、週1療育サロンに通うために受けた、スクリーニング検査で、担当した心理士さんから「自閉症の可能性があります...」と告げられた後。

当時、仕事は深夜が常だった夫。翌朝、夫に聞かれてから状況などを伝えていますが、もう泣けてしまって...。私は途中でトイレに駆け込み、わんわん泣いています。なので、何を どう話したのか...実は不明です(汗)。

夫の第一声は「オレが家族を守るから、大丈夫!一緒に育てていこう!」でした。同じく、涙目で。

それから数日は、いつも通り T に付き合いながらも、心ここにあらずで...タイミングをみて、実母に電話しています。「みんな気付いていたのに、誰も指摘してくれなかった...」など、恨み節も、たくさん訴えました。(汗)

実母には「母親が気づいて あたりまえ なんだよ」と諭され、堂々巡りの感情発散に、何度も付き合ってもらっています。

それでも将来を悲観したり、勝手に絶望しては、泣けてばかりいました...

4月の療育サロン スタートまでには、まとまった時間があります。夫の勧めもあり、私は T を連れて、一旦、実家に帰り、子育てを助けてもらいながら、自分もゆっくりと休養することにしました。

義両親には、空港まで送っていただいています。義両親には、T が障害かもしれないことを、夫から一応、伝えてもらっていましたが、個性の範囲だと受け止めていたようで、ほとんど信じていない様子でした。

それから数年以上は、義両親と私で、T の障がい認知や意味付けで、意見は全く合わないまま...です。私は、自分と同じように理解してほしくて、何度もヤキモキしていたのですが...(苦笑)。

結果的に、誰がどう思い、何を行うか...実は、全くの自由なんですよね。

みんな T のことを大好きで、とても愛情深く大切に思っていて、それぞれが T のために良かれと思い、ベストを尽くして対応している...ことに変わりはなかった、という感じです。(^^

私と T は、実家で1か月以上の時間を過ごしています。ちょろちょろ動く T は、環境が変わり大人が多い場所では、ずっと楽しそうに過ごせています。私も、自分の心理的・肉体的な負担が減って、両親とオープンに対話することで、少しづつ冷静になっていきました。

この頃、特に印象に残っていることは、教育テレビ等のドキュメンタリー放送で、障がいに関する番組が、実は日常的に、いろいろと放送されていること...です。

当事者になってから、改めて世の中には、同じような経験や、もっとディープな体験をしている人達が、星の数ほどいること。その体験を経て、更に周囲に理解を促そうと奮闘していたり、今は幸せ...と、ささやかな日常を大切に刻んでいる人達の存在に、改めて心を動かされ、たくさん気が付くようになりました。

自分の視野の狭さや、思い描いていた未来ビジョンを手放すことにも苦しんで、何度も泣きました。現実をありのままに受け止め、そこから前向きに考えられるようになるまで...には、咀嚼するための一定の時空間が、私には必要でした。

明日に続きます(^^

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