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すごいタイトルつけちゃいましたww。理江さんの話です。

ここでちょっとおさらい、そう、「地に足をつけたプロティアンキャリア」を育んだ理江さんの話です。

大学卒業後、建設会社に正社員として就職した理江さん。女優になりたいという夢を叶えるために、(女性は)残業のない会社を選んだのです。退社後は劇団のお稽古に励んでいました。しかし、お稽古にもっとエネルギーを注ぎたくなり2年で退社。派遣社員をしながら演劇の勉強を続けていました。そんな折、故郷のお父さんから「こんな募集があるぞ」との声かけがあり、父を納得させるために記念受験をしたところ、まさかの合格! アナウンサーとしての道を歩み始めます。大変でしたが、充実した楽しい仕事でした。

しかし、職場結婚を経て、天職だと思ったアナウンサーの仕事を、夫の転勤で失ってしまいます。新天地で2人の子どもを出産し、専業主婦として5年間を過ごす理江さん。「○○君のママ、××さんの奥さん」と言われる毎日の中、アイデンティティへの強い気づきを得ます。でも、気づいてしまったばっかりに、もんもんとした気持ちは深まる一方…。

そんな理江さんを変えたのが、この人の一言でした。

募集要項には「25歳までの女性」…。

「やりたいことがあればやればいいんだ!」理江さんは動き出します。子供二人を、別々の保育園(もちろん同じ保育園がよかったけど、空いてなかった)に預け、就職活動を開始します。

地元のラジオ局で募集が出ていました。しかしそこには「25歳までの女性」という条件がついていました。

今はこんな募集は出せませんが、1990年代当時は普通にあったんですね。

で、理江さんどうしたかって?

直談判! したのだそうです。

自分がしてきたことと、できること、地元のラジオ局でやってみたいことを具体的に話したそうです。 

もちろん 採用されました。

そして、自分の名前を冠した帯番組を持たせてもらったのです♡♡♡

女の価値と年齢

日本社会は、年齢の縛りが強いと思います。特に女性に対して「若い方が価値が高い」といった傾向があります。

この春、私は3か月間職業訓練に通いました(この話はまた別記事で)その時、キャリアカウンセリングを受ける機会があったのですが、私の履歴書を見たカウンセラーが、開口一番に次の言葉を…

「この年齢だと、フルパートかな?」

「え?」

ま、そうかもしれないですけど、最初の一言がそれですか??

実は、その時の衝撃が、プロティアンキャリアを基盤とした40-50代女性向けのキャリアデザインを考えようという動機になりました。そういう意味では、「きっかけになった言葉」であります!「有難い」ことで、ありがとうとはこういうシチュエーションに使う言葉なんでしょう。

話を戻します。

なぜ、私たちの生きる社会は、令和の時代になってもこんな価値観が強く根差しているのでしょうか。この価値観が形作られたのはいつの時代なのか?

○○時代の価値観が私たちを縛る

で、クイズです。この価値観はいつの時代に作られたものでしょうか。

1.江戸時代

2.明治時代

3.大正時代

4.昭和時代

そして、その理由についても是非考えてみてください。答えは次週に。

おまけ

そうそう、理江さんのラジオ局採用話に乗っかって、私が以前、地域FMにお邪魔させていただいた時の写真を載せてみました。とっても楽しかったです。また呼んでほしいなぁ。(←おねだり)

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