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永禄四辛酉三月晦日三好筑前守殿御成之次㐧之事にみる饗応料理をなんとなく科学から見る①

早いもので、もうすぐ一年経過します。
漫画で三好御成御膳の実食会に参加させていただき、そこで「和食技術の変化」と「菌類の使用」など、まあまあ色々調べていました。食材から調味料、いわゆる政治利用ではなく、純粋に和食としての変化がある時代を体験をして、そのテクスチャー変化などを実際に再現された料理で感じ取ることができるのも醍醐味ではないかと思います。

歴史の食にどのような調理が施されていたから食感が変化

今とは違い限られた中での調理や切り方、工夫が多いのではないかと思いますが、技術が継承されるという点は注目すべき点ではないでしょうか?
例えば、目立つのが魚介中心であるということです。魚介には調理により、食感の変化が顕著に現れることが多く、イメージ的に固い物を想像してしまうと思います。
まあ実際の所は硬かったのではないかと思います。柔らかさを図るつまりヤング率で表すと言っても、知覚変化は歴史により変化するのではないかとも、あるかと思いますが、数値の方がわかりやすいので数値で見ていきます。
数値はどうやって出すか?というところですが、

まさか、御成のイベントで食物サンプルを取って、主催者の方に「主要食物の生産地域(漁獲地域)をください、ついでにサンプルもください」なんてお願いはできないので、論文などを活用して数値で補うことにします。
殆どは食品で括れば、イメージ通りの硬さ柔らかさです。

弾性とか塑性とか

例えば、今回使用されていた貝類、あわびなんかいい例かなと思います。
この頃使用されている鮑は「どの様に調理されていたか?」によってテクスチャの変化で柔らかさが変化すると思います。10のX乗みたいなのだと、10の4乗位の柔らかさだとか。

  • ヤング率が大きいほど硬い。

  • 弾性率は大きくなるほど歪みが生じにくいと言うことなので、変形しにくいし固い。

  • 剛性率は大きいほどずれの応力に対しての歪みが小さいので固い

大きくはこの3つで食をイメージしました。
※メモを取っていたのは柔らかい、固いとかのイメージと素材の種類を把握する上に、さらに漫画の資料と言うなんともとんでもない人。

つまり、鮑は調理によって数値が変化するので、例えば生で調理されている鮑の部位(身の部分でも黒い部分と貝柱の部分で弾性率が違う)を貝柱に限定した時「コリコリ」とした食感があるとすれば、剛性率が大きいのではないか?と思い、応力(歯で噛みちぎる)に対しての歪みが働きにくいとすれば、固い。でも弾性率は比較的変形しやすいとすれば「硬くて強い」イメージとかになる。
もちろん、硬くて脆いと感じる人もいるかもしれない、これは食物が持つ面白い部分である。

こんな感じを頭に想像していた。

例えば、今回の鮑は調理が施されているために、比較的柔らかくなっているが、噛み砕くまでにかなり力がいるとすれば「柔らかくて強い」イメージを持つ。
そこで、もてなしを受けた将軍がどのようにこの食を感じ取るかは、やはり食物の持つテクスチャによるのではと。

また、咀嚼をする時は味覚の筋肉を使う。(思っての通り、舌や歯を使って咀嚼をするので)
ただ、鮑を調理して出したとされるのは、戦国期には産地性、ウイルスや細菌など食中毒を起こさないようにするための加熱などなど理由はいくつかあるんじゃないかな?って思っています。
もちろん、食材の豊かな産地性を表せば、贅を凝らした物としても考えれるのではないかと思いますが、魚介類には、凡そ調理をすると言う過程を挟むことは大きく、この場合には「食べやすさ」も考慮していたのではないか?とも考えてしまいました。
その頃の調理方法によっては、今よりもずっと食が豊かではない頃、いかにして食べるか?を考えて、調理方法を繰り返し、さらにそれを応用するといった、食材のテクスチャ変化を行い、食べやすく、美味しくしていたのかな?とも見られるかなと考えました。

義輝が食した時に、どのように感じたか?は義輝の味覚や食感の感受性にも関わると思います。
が、現代に同様の食材とまではいかなくても、類似した食材を使用し、調理された料理を食べるという点では、私はこういう食から歴史を追うというのは咀嚼という行動により、食感、口当たり、食物に対するテクスチャの変化は、擬似体験できているのではないか?と思いました。

惣奉行の三好長逸をメインにした漫画になったわけですよ。

城郭だとその場にあった地理性、自然物、さらに発掘された遺構などで、その当時を紐解く鍵を見つけ、その鍵を使って様々な扉や引き出しを開けたり、閉めたりすることのように、食というのはなかなか戦国期には庶民ではなく、いわゆるおもてなし料理などの文献記録が残る程度(どうしても紙などの使用が発生するため)ですが、「近くの山にきのこが生えていて取って汁にして食べたらお腹壊した」という記述だけでも、煮るという食物を変化させている行為が発生した場合、毒の対象が毒性のあるきのこだったのか、もしくは毒性はないが生に近い状態で食したのか、毒性のあるきのこでも調理によって汁にまで毒性が移ったのか、調理した際に使用した副材料が腐敗していたために発生したのか…など考えることは多いと思います。

「きのこを取って焼いたら美味しかった」という話であれば、そのきのこはどんなきのこなのか?この地域に生えるきのこはどのようなきのこなのか?焼いたとするが「炒める」と「炙る」とすればどのように調理をしたのか?というように、たった一つの戦国期の文書でも考えてしまう人もいるのです。(限定的)

次は、実際の出された食品を様々な観点で見た話を書こうかと思います。

御成御膳…次があったら事前のサンプリングを頼んで…

真顔で嫌がられそうなので押さえておきます。

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