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私のちょっぴりスピリチュアルな日常のお話⑥(今生エピソード)


こんばんは!YOKOです


今生について綴りたいと思います


前のnoteでも少し触れていますが

私は物心ついた時から、極度の人見知りでした


人見知りエピソードのひとつ

保育園の頃、たい焼き屋さんの屋台があって、そのたい焼きを食べたかった私は、母親に伝えました

母親に、値段がいくらか聞いてこれたら買ってあげるよと言われました

しかし、人見知りすぎる私は、聞きに行く事が出来ず、結局買ってもらえなかったのと、母親にイライラされるといった悲しい記憶があります


そんな事がたくさんありました




前回の⑤⇩で綴ったように
過去世の大放出が落ち着いて来た頃、今生の大放出が始まりました



出てくる痛みをひとつひとつ見つめて行きました


ある時、産まれた時の感情に行き着いた事がありました


地球に産まれ落ちた瞬間に感じた

"こんなはずじゃなかった"という強烈な思いでした


自分にとってはなかなかの衝撃でした!
と、同時に、だからだったのかーー!!と、深く理解する事にもなりました



産まれてきたものの、この世は重すぎるという感覚



私は産まれた時、黄疸がひどくて血液を全部入れ替えているそうで

いろんな意味でこの世を拒否してたんだなと思いました


産まれた時からそんな感じですから、この世の何もかもが恐怖でした

特に人間が怖くて仕方ありませんでした


極度の人見知りにプラスして、感受性も強かった



幼い頃よく言っていた言葉は

イヤだ でした。。。泣笑



どこにいても自分の居場所を感じられず、言葉を発する事も少なかった



塗り絵をやっている時や、何かを創作してる時が1番楽しくて、自分にとっての安らぎの時間でした




そんな人見知りな私を心配したのか、母親はたくさんの習い事へ通わせました



バトン、器械体操、バレー、英語、そろばん、などなど


自分の意思で通ったわけではなかった為、イヤで仕方ありませんでした


特に英語の教室で一緒だった男の子が苦手で、どうしても行けなくなり、河原で時間を潰していた事も何度かあって、怒られました


当時は、なぜイヤなのか母親に話す事も出来ない子でした


前提として、"どうせ分かってもらえない"という思い込みがあったからです

(大人になってから母親にこの事を話した時、早く言えば良かったのにと、2人で大爆笑しました)



小学校では、授業中、発表する事も苦手で、どうしても発表しなけらばならない時は、怖くて涙が溢れる事もよくありました



自分の事が恥ずかしく、なぜ、涙が溢れてくるのか分からなくて、そんな自分をずっと責め続けて生きていました



親にノートを買うお金をちょうだいと言うのにも、いちいち勇気を出さなくてはならないほど、自分が発する言葉はすべて否定されるんじゃないかという恐怖がありました




自己肯定感などこれっぽっちも無かった


常に、漠然とした不安や悲しみや恐怖を抱えていました





私は兄弟が多く、6人兄弟の一番末っ子


家の中でも、自分の居場所は感じられず、毎日がサバイバル状態、どこにいても休まることはなく
一番上の姉以外、全員にいじめられて育ちました


泣く事でしか訴える事が出来なかったのですが


そんな泣いている私に
うるさい!泣くなら外にほっぽり出すぞ!と両親に怒られ、泣く事すら、ままならなかった


小学生の頃は、ストレスで帯状疱疹になりました

私は覚えていませんが、寝ている時間に、暗闇から兄の友達をジッと見ている時なんかもあったそうで、完全に壊れていました


そんな環境で育ったからか、人とのコミュニケーションがうまくとれず、学校でもいじめられました



中学の頃も引き続き、いじめにあいました

毎日1人ずつ決められて、クラス全員から無視されるというものから、班の女子にハブられたり、親友だと思っていた幼なじみから無視されるなど、そんな事が当たり前のように日々繰り返されました


担任の先生に日誌で相談しましたが、「あなたも悪い」と書かれて、直接話しを聞いてもらえることもないままでした


極め付けは、三者面談の時、先生が母親に、いじめられている事を告げてしまい、ショックと恥ずかしさと悲しみでぐちゃぐちゃになりました

人に対する恐怖と不信感が増幅した経験でした


そんな私は
それでも、なんとか少しずつ人との関係を学んでいきました

高校生の頃は、いじめることも覚えました(本当にごめんなさい)


様々な体験をして行く中で、気がついたことがありました

それは

この世界では本当の事を言ってはダメなんだ!という事でした

本音と建前ってやつです


今、振り返ると、本当の自分を封印し、仮面を被り始めたのは、それに気がついた頃だったと思います


その方が、表面上うまくやっていけたからです
それと、自分を守るためでもありました


そんな地球のスキルを身につけた私は、そのうち仮面を付けていることすら忘れてしまいました


本当の自分をしまい込み、仮面を付けて誤魔化した自分を、これが私なんだと思うようになりました



幼少期に、うまくコミュニケーションが取れなかった私にとって


たとえ本音を言える関係でなくとも、表面的なものであったとしても

周りの人とうまくやっていける事の方が嬉しかったのです




何だか切ないですね。。。



こういう生き方は、遅かれ早かれ限界が来ます


表面上でうまくやってたとしても、結局、自分にウソはつけません




時折り、理由が分からない切羽詰まる感じが押し寄せてきて、居た堪れなくなる事がありました



つづく




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