登校しぶりに対する自己分析

登校班初日に大雨でスタートしたからなのか、それとは関係なくなのかは分からないけど、子供は毎日朝、学校行きたくない!からスタートしている。なんなら日を増すごとに嫌だという主張が強くなっている。

元々、保育園の頃から両手をあげて行ってきます!というタイプではなく、1歳児クラスからの3年くらいはずっと嫌々行ってるという登園スタイルだった。後半2年は、仲良しのお友達ができたことで楽しく通っていた。

保育園の登園しぶりもその当時はとても辛かった記憶がある。園長先生に泣きながら相談したことだってあった。

でも、あの頃とは何か違う漠然とした辛さがあって、今日ぼんやりと自己分析をしてみたので、まとめてみようと思う。

①一旦楽しく登園している姿に慣れたから辛い。
保育園で楽しく通えるようになっていたので、その延長として、楽しく通えるだろうという楽観的な展望を持っていたので、そんなわけなかったか!という感じで、ギャップに辛さを感じているように思う。
逆に、保育園に通い始めは、当たり前に泣くよね。からスタートしていたので、そこの違いは大きい。

②子供が明確な意思を持って、行きたくないと言っているところが辛い。
元々口が達者な子供で、よく自分の気持ちを具体的に表現できるよねと驚く一面を持っており、保育園の年長さんあたりからは、お友達とのトラブルの話もいろいろ聞かせてくれていた。
それが、小学生になり、より分かりやすい説明でいかに登校班が嫌か。小学校はなぜ緊張する場所なのかを説明してくる。
確かに!そりゃそうだよね!嫌だよね!と共感する理由がてんこ盛り。
そうなると、なんだか分からないけど、うやむやにしてとりあえず行ってみよう!とは行かなくなるのだ。
幼いころには、そもそも意思があやふやだったので、泣いてたとしても、保育園の中に入ってしまえば楽しんでるから大丈夫よ!と預けられたものだ。
ちなみに、今だって行ってしまえば楽しく過ごしているようだ。でも、あの理由を聞くと、本当に嫌なんだろうなぁとも思えてくる。

③小学校=行くべき場所という感覚が辛い
やっぱりこれはかなり大きい。小学校は、毎日行くもの。学校に行って勉強するというルーティンを身につけるべき。
これは、今やナンセンスな考え方なのかもしれない。不登校になった時、その考えからきりかえなければ、どんどん悪循環になることも分かる。だけど、この考えを最初から手放しにするのもまた違うのではというのが個人的な意見で、それは人間社会のコミュニティ内にいる限り、必要となるスキルを身につける必要があるわけで、まずはそこに向けて気持ちを整えていきたい。
だからこそ、行きたくないというワードがものすごく響いてくるのだと思う。
保育園は、親の仕事のために預ける場所だったから、行ってもらわなければこちらが困るが、行かなくても本人は困らない。
学校は、本人にとって行った方がいい場所で、そこに拒否反応が来ることが怖いと感じているのだと思った。

ひとまず自己分析はここまで。
念のため書いておくと、これは子供の分析ではない。子供は子供なりの考えのもと生きているし、分析するにはまだまだ言葉が少なく、理解しきれていないので、子供の分析はやっていない。

きっと、学校から帰ってきた子はやりきったあとの満ちた顔をして帰ってくる。
そして、明日の朝はまた行きたくないという。
今はそのどちらも受け入れて、子供の気持ちに寄り添えたらと思う。

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