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「ママは良い人生なの?」Vol.22

心強いナースさんとの出会いから3日後、夫より「医師から『血液の数値が落ち着いてきたから、体内に入れているチューブを少しずつ外しましょう、うまく行けば1週間以内に退院可能ですよ。』と言われたよ‼」と退院への具体的なカウントダウンの数字が出てきた。俄然LINEの言葉に勢いがある。

こちら側は、退院の文字がちらつくと帰宅後の彼の生活をどうサポートするかについて考える。まずは食事だ。内臓のかなりの部分を摘出しているので、食べ物の制限もあるはず。食べ方や休み方など社会に復帰するまでのアプローチを知りたい。
しかし、コロナ禍で病棟内に入れない日々が続き、退院後の食事や日々の生活のケアなどの情報が全く入らない。このことを夫に伝えると「退院時に食事の説明書とかもらうらしいよ」と自分の退院が嬉しいからだろうか、ちょっと他人事のような返事が来る。

うーむ、こういうことは退院時になんとかなることなのか?特に気にすることはないのか?一体誰に聞けばよいのだ? 
もう一度夫に確認をする。「ご飯とか、身体のケア、リハビリとか退院後どうしたらいいの?」と聞いても「傷がうまく縫合されたら仕事復帰もいいらしいよ」と少しピントのずれた返信が来る。
「そしたら、普通のご飯でいいんだね?退院の時何食べたい?」と聞くと「油物とかはダメっぽい。あと、サツマイモとかもダメみたい。」とピンポイントだが的確とは言えない返事がくる。うーむ。続いて「仕事もしていいらいしいよ」と書いている。
「働く?え?すぐに働くつもりなの?」
「お医者さんがゴロゴロ寝ているばっかりは良くない。回復を促すためにも身体を動かすのは良いって言ったよ。」
「そういう場合の身体を動かすって、仕事以外のことで少しずつ慣らしていくってことじゃないの?」
「働けないとは言われてないし、働けるなら働いた方がいいという感じだよ。」このような会話が延々と続く。

イライライライライライライライラ。

彼が早く社会復帰したいと思う気持ちは理解できる。
しかし、巷ではコロナウィルスの感染とインフルエンザの蔓延のニュースが流れている。3か月ほとんど人と会っていない彼がいきなり職場に行こうとしている。どう考えても尋常な精神ではない。

『彼は自分のことを客観視できていない』と思い、LINEでやり取りするも、暖簾に腕押し。全く考えが変わらない。

「退院した日に床屋に行きたい。その後職場に渡すお菓子を買って…」と言い出して聞かない。会話にならない。こちらの心配が全く届かない。

イライライライライライライライラ。

(こういうこと、ナースさんに聞いても良いのかな・・?)一瞬考えたが、誰も相談する人もいない。とりあえず聞いてもらえたら…と思って彼女にLINEを送る。「彼が帰ってきて、おそらく大きな負担になることは彼の食事やもしもの時の対応です。ゆっくり体調を整えてほしいですが、全く耳を貸しません。退院時は私も同席しますが、その日に医師に聞くとしたら何を聞くべきか知りたいです。それでなくても次女の日々のケアもあるのでできるだけ負担を軽くしたいです」

「わかりました。入院中の退院前の1週間くらいの体温・脈・血圧・酸素飽和度のデータとここ数回の採血データをプリントアウトしたものと、栄養指導のパンフなどを準備してもらうようにご主人から病棟ナースに伝えてもらってください。それから、オンラインでもよいので病状説明を聞ければ、退院時から立ち会いたいです。」「〇ちゃんの病状のことは病院におつたえしていますか? 夫のケアと子どもの療養を両立させたいという流れで私(ナースさん)を訪問看護でお願いしています。と病院にお伝えしておくと、病院側も私(ナースさん)の立ち位置がわかりやすくなると思います。そしてYOKOさんからの視点だけではなく、専門の分野からの質問も同時にできると退院後の不安も軽減すると思います。」

なんという安心感。

次女は医療・福祉・教育・行政、どの分野もプロフェッショナルの力を存分に頂きながら育っている。そばにいる人(私)が困った時、悩んだときは尋ねる人がいるのだ。

しかし、既往歴無し・働き盛りの年代・介護保険などの制度の利用範囲外の人間となると、全てが自己判断になる。 当人もだが、家族の負担は大きい。

病院に行くほどではないけれど、生活のクオリティを保ち、向上するための専門的な知識を得られることはものすごく大切だと思う。

そしてナースさんはその日の夜の電話で「YOKOさん、ご主人のようにすぐに元の生活に戻ろうとする患者さんは多いですよ。ご主人に限ったことではないです。『元の生活に戻る』の呪縛から離れ、新しい生活スタイルをつくっていくという思考回路になると、ずいぶん生活が楽になり豊かになります。そこにたどり着くまでのサポートをまずしていきますね。」と伝えてくれた。私は携帯電話を耳にあてながら、寄り添ってくれていることが伝わり、胸が熱くなった。言ってほしいことをわかりやすい言葉で的確に伝えてくれることの安心感。

すぐに夫にプリントアウトが必要な件を伝えた。
「わかったよ。あ、それから土曜日退院で、月曜日に職場に行ってその日は挨拶だけして、今後の仕事復帰について話すことにしたから。」

あ、え?職場に言ったの? お・・・・い。

「どうやって行くの?私も仕事なんだけど。もう休みは取れないけど。」
「あ、バスと電車で行くよ。車の運転はまだだめらしいから。」

あ、え? イライライライライライライライラ。

昨日コロナとインフルエンザの感染状況を伝えたよね?どうして電車で行こうとするのかな?そもそも今の身体でバスと電車は無理だろう…。昨日の会話は1ミリも活かされていない…。

しかし、心の中でナースさんの『自分を客観視できないことはよくあるのだ』という言葉を思い出し、ひとまず気持ちを抑える。「ま、その件は帰ってから話そうね。」落ち着いた言葉に自ら驚く。知識が余裕を生み出すのか。

このやり取りもナースさんに伝える。「血液のデータを元に、今のご主人の体の中がどういう状態で、何が出来て何ができないのか。したいことを選ぶことでどのような危険があるのか、など具体的にお知らせできると思います。大丈夫ですよ。」と仏様からの言葉のようで私の心がすぐに落ち着く。

ナースさんの存在は、私の仕事や生活のパフォーマンスにも影響している。ただひたすらに最悪の事態を思い悩むことが無くなった。 夜、眠れるようになったのだ。これが今一番の変化かもしれない。

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