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「ママは良い人生なの?」Vol.16

次女は旧友との再会に喜び、ご機嫌で家に帰り夕ご飯の準備をする。今日のメニューはすき焼きにしようと決めていた。夫が入院していることを知った方からとてもおいしいお肉を「〇ちゃんと食べてください」と届けてくださったのだ。年末年始に帰省していた長女も自宅に戻ったため「2人だけど美味しく食べようね」と話し、野菜や飲み物など前日から張り切って準備していた。
次女は今日の出来事を楽しそうに話し、携帯を手にしては友達に写真を送ったりとウキウキしつつも忙しそう。ひとしきり余韻に浸ったあと、いつものように食卓に座ってご飯を食べようとしていた。

私はずっとモヤモヤしたままだった。
病院で声を荒げたものの、その後のお祝いの場では何もなかったかのように楽しそうに振舞った。次女はそんな私の姿を見て(どうやらママの機嫌は治まった)と思っただろう。

ダメだ。今話そう。
「ちょっといいかな。ママさ、何にも心がすっきりしていないんだけど。」と言い、再び【なぜ1人で生きられると言ったのか?】について話したいと伝えた。誰のお世話にもなってないと言う感覚は無視できない。本気でそう思っているならとても残念だ。あなたは沢山の病気を持って生まれたから、多分お姉ちゃんよりも多くの人があなたを元気にするために、少しでも楽しい人生が送れるようにと手を差し伸べてくれていて、力を貸してくれていたのに、なんにもわかってないの?本当に自分の力だけで20年間生きてきたなぁと思っているの?と知的障害のある娘がわかる(と思っている)言葉で話した。

最初の内は「ごめんなさい」の連呼だった。理由を聞くがはっきりとは言えない。彼女はすき焼きを目の前にして私がまだ怒っていることが訳が分からないようだった。早く食べたい!という感じ。「ママの話を最後まで聞いてほしい。」と言うと「は・・い・・」と観念したような顔でうつむいた。

生まれたとき、あなたの命がいつまで続くか皆がとても心配したこと。ミルクを口から飲めなくて身体が全然大きくならないことを心配したこと。初めて口からそうめんを食べた時、知っている人みんなに連絡して誰もがびっくりするくらい喜んでくれたこと。保育園で給食が食べられるようになった日、先生が連絡帳に食事の様子を沢山書いてくれていたこと。先生の呼名に手を挙げてお返事ができるようになったこと。小学校の通学時、姉と友達が護衛のように見守って一緒に登校してくれたこと。クラスの先生方や友達がいつもそばにいてくれてたくさん新しい経験をさせてくれたこと。亡くなったおばあちゃんは最後の最後まであなたのことをとても心配していたこと。そして入院しているパパもいつもLINEの中に「〇ちゃんは元気かな?」と書いていること・・・。
言葉を用意していなかったが、彼女が思い出せるようにと願って私の頭に浮かんできたことをそのまま話した。

話している途中だった。突然スクッと立ち上がり「ママ、わかった。みんなのおかげではたちになったのに、あんなこと言ってごめんなさい」とじわっと涙が出つつもしっかりと目を見て話した。その姿に私も思わず涙が出てしまった。「パパは、〇ちゃんが成長したことを本当はおうちで一緒にお祝いしたかったと思うよ。病院でちらっと見るだけなんて思ってもみなかったはずだよ。今日、ママはパパも一緒に〇ちゃんのお祝いしたかったなと思っているよ。」と話すとうんうんと頷いた。
2人で涙を拭いて洗面所で鼻を噛み、鏡に映る赤い鼻の2つの顔を見て笑ったあと美味しいすき焼きを食べた。

はたちおめでとう。

その後夫から「『パパ、さっきはごめんなさい。はたちまで育ててくれてありがとう』ってメールが来て涙が出たよ。」と連絡が入った。

夫が入院してからずっと閉ざしていた感情を次女も私も出した日だった。



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