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鳴沢了シリーズを初読

思えば平成の文芸を牽引したものの一つに警察小説が貢献したといっていい。百花繚乱の如く次々とシリーズ作品が現れ、その隆盛は令和に入って他ジャンルに押されぎみながらも、まだまだ健在なのではないか。
その中でもベスト級の鳴沢了シリーズがどうして人気があるのかを知りたくて読んでみた。

読後の印象は忌憚なく言うと、釈然としなかった。たぶん作風が私には合わないのだと思う。でも最後まで読ませる作品ではあった。その魅力は何なのか?それが分からないこともあって釈然としないのだ。

私がこれまで読んできた警察小説といえば大沢在昌・新宿鮫や東野圭吾・加賀恭一郎、それと広義的に松本清張作品だろうか。恥ずかしながらも、あまり読んではこなかったことはさておいて、どうしてもそれらと比較して論じようとする自分がいる。

新宿鮫は国内のハードボイルドを代表する作品である。本書もハードボイルドに入るようだが、三人称の新宿鮫に対して鳴沢了シリーズは一人称である。その差異は有るにしても主人公らの佇まいやら感傷が与える質感に私は戸惑ったのだ。

ハードボイルドの極北はチャンドラーの「ロング・グッドバイ」であるという個人的な思い入れが影響してる気がするのだ。もはや古典とも言えるこの名作は、確かチャンドラーが意図的に主人公・マーロウ(一人称だったと思う)の心理描写をギリギリまで削ぎ落としたというようなことを聞いたことがある。私も一度読んだことがあるから思い返してみると、会話文と人物の行動・状況を表す情景描写などで主人公の感情を推し量るしかないのだなと妙に納得して、その徹底さや完成度に感嘆した記憶がある。

そして鳴沢了の場合は感情の漏れすぎな所に戸惑いを感じてしまった。特に顕著なのがドラマ24のジャック・バウアーのように了が時々「クソッ」と心中や相手の前で毒づいたり悪態をついたりするところとか。

一方で視点を変えてみると、こちらも評価が高い著者のスポーツ小説は自身の警察小説と蜜月のように影響しあってる印象がある。私はまだ、堂場瞬一のスポーツ小説は未読だが、登場人物の感情溢れる描写が読みどころの一つなのだろうと推察してる。だからだろうか犯人を追いかけるシーンはスポーツさながらに臨場感があった。この臨場感を活かすためには感情が過剰に漏れる程の方が丁度いいのではないか。またミステリー要素としての謎解きやロジックは弱いかもしれないが、愚直なまでにコツコツと捜査するシーンは、スポーツ小説のアスリートがトレーニングしてる描写の筆が乗り移ったかのようだと勝手に想像してしまう。

以上を考慮すると、本書において例えば、捜査が時に行き詰まったり進展したりする描写にはやはり、だだ漏れのような感情の起伏こそが、一番読者が読みたいし味わいたいところでもあるのだなと、このレビューを書いてる内に得心し始めている。

シリーズの魅力を享受するには、私の場合1作目だけ読んだだけではいけないのかもしれない。迷わず2作目「破弾」へGO!

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