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忙しいからできないこと、忙しくてもできること

 約3ヶ月ぶりの投稿になってしまいました。
 「なってしまった」ということは、本当はもっと自分の内面を文章に起こし、自己理解を深めたかったのです。
 なぜなかなか投稿できなかったのか?
 それは「忙しかった」からです。

 「忙しいから〜ができない」という場面が私の生活の中ではよくあります。

 忙しいから掃除ができない
 忙しいから手の込んだ食事が作れない
 忙しいから子どもとお出かけができない etc…

 でも、冒頭の薔薇のように、「花をリビングに飾る」という行動は、忙しい新年度のスタートの時期から始めました。
 数十分歩いてお花屋さんを巡り、心惹かれる花を選んで買い、リビングの花瓶に飾るのです。
 水の入れ替え、茎や葉の手入れとそれに応じた生け方のアレンジといったお世話もついてまわります。

 “忙しいからできないこと”がある一方で、“忙しいけれど始めることやしていること”もある。
 その違いは何なのでしょうか?
 それは「やりたいことなのかどうなのか」にあると思います。
 つまり「willの体現」です。

 「忙しい」という感覚は「〜しなければならない=must」にという認知からくるように思います。
 忙しさを緩和する方法としては、認知のコントロール、つまり、
 ①mustだと思っていることは本当にmustなのか
    ②must以上の強く大きなwillは何か
を精査してみることが有効だと思います。

 冒頭で私は、本当は投稿を通してもっと自己理解を深めたいのに、忙しいから投稿できなかった、と言っていましたので、上記の①②を精査してみました。

 休日は仕事生活と切り離し、徹底的に休もうと心がけていましたが、“休むとは何か”が曖昧であったため、「休息」や「睡眠」にとらわれていたように思います。
 しかし、私に必要なことは、忙しさに呑み込まれないように「休養」することだと気づきました。
 「休養」とは、ただ心身を休めるということにとどまらず、余暇活動などリフレッシュできる活動をすることも含みます。
 つまり、私のmustは「休息」でも「睡眠」でもなく、「休養」なのです。

 そしてもう一つ…。
 先日、忙しさからの視野狭窄を打破したくて臨んだ60分ロープレ練習会で、キャリアカウンセリングの課題を久々に認識し、キャリアコンサルタントとしての内面を整理するために言語化したいというwillを強く意識しました。
 これはmustと同等か、それを上回るものです。

 以上の精査を通して、この度の投稿に至りました。
 忙しい時こそ、認知のコントロールを意識してみようと思います。

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