トンガ人のママ


チワーッス。

うん、ごめん、長らくお待たせしました。


かなり待たせてしまったな。


I’m sorry 🥺



今日はトンガのママのお話。


母、モアナちゃんは今年で55歳になりました。


最後に会いにいったのが2018年なので、もう3年ほど会っていません。


3年の間、ビデオコールするたびに白髪が増えている母モアナちゃん。(私も白髪が増えきたがな)


歳をとっていく母をみるのは、何故かとても寂しい気持ちになります。



私は5歳の時に母と離ればなれになりトンガに帰った母と再会したのは2000年。


私が14才、母が34才の時でした。


9年間離れて暮らしていたので、私は母がどんな人だったか、あまり小さい時の記憶になく、一緒に自転車乗ったり、友人の家に遊びにいったりした事ぐらいしか覚えていなかった。


トンガで再開した母との暮らしはね


血が繋がってるからといっても


かなり難しかった。


めちゃくちゃしんどかった。



勿論、沢山のいい思い出はあったけど


当時の私と母は油と水の様な関係だった。


まず、私が母を母として受け入れるまでに時間がかかり、


母は母で母らしく私にトンガでの生活に慣れるためビシバシ厳しく育てようと色々教えてくれたのだけれど、、


日本からガラリとトンガに移住したギャップが半端ねぇんだ。


何もかも分からない。



言葉が分からないのが辛すぎた。



そして生活が180°どころではなく、360°変わり自分がついていけない。



外見はトンガ人の私だが、中身はスーパー日本人だったので


もうね、またぐれたんたんだよ。



人生の半分はグレていたね。



トンガにいって馴染めるかなと思ったら、トンガに住んでいても私はどこにいけば馴染めるんやろかと日々、考えたわね。



分かるかな。何か世界中どこいっても自分の居場所がないみたいな。


わかるかな? (笑)


でね、母には家事からトンガの事まで色々叩き込まれたのだけど、母も母で私をトンガ人にするぞ、みたいな意気込みであれやら、これやらやっていたが


私のメンタルが限界でした。


そして日本にいた時は一人っ子だった私だが、トンガにいった時、母に3人男の子がいて、たしかね、トンガに移住して一年後ぐらいに



この子達はヨウコの弟よ。


と紹介され、


はーーっ?????? な、な、何?!?!?! 


と、いとこだと思い込んでいた弟3人。


なんで1年も待った?!?! なんでぇ??!


母は、


言いそびれたんや。



私: なんでやねん。🤯


無茶苦茶やーーーーーん。(笑)


そして、弟達の事が分かった後は母の波瀾万丈の
トンガ生活の話を聞いた。




母は私の父と離婚後、トンガに帰国した数年後にある男性と出会い、子供を授かった。私の弟第一号な。


が!!!!!!!!!!!!! 



結婚の約束までしていた男性はすでに結婚していた。

母、失恋、弟を産みシングルマザーとして弟第一号を育てる。


数年後、また新たな出会い。この男性はコメディアンみたいに面白い人で母とは意気投合。
数年一緒に付き合い、子供を授かり
弟第二号を産んだ後、弟の父は子育てより
パーティーを優先に飲んだくれる毎日で母が降参。
弟第二号もシングルマザーとして育てる。



ここからまた数年経ち、同じ村に住んでいる男性と交際を始めるが、この男性が他の村から牛を盗んできてしまった為に2人は破局。
別れた後、母、モアナちゃんは弟第三号を妊娠している事知る。弟第三号の父は私も実際会った事があるがすんごい優しい人だった。牛盗んだのはマジでいかんがな。それ以外は本当にね、優しいおじさんだったよ。母に復縁を何度もお願いしていたが母は



帰れー牛泥棒ーーーーーーー

と何度も追い返していた。

そして弟第三号もシングルマザーとして育てる事になった。



なんかテレビのドラマをみている様な感じだった。


こんな事現実に本当にあるの?!?! 

ってね。(笑)



私も若い時は何故、母はこんなんなんだ?!
と思っていたが、きっと母はずっと信じていたのだと思う。

愛を。

情熱すぎるのか、なんなのか未だに分からんが、きっとダメ男に落ちようがきっとその人のいい所をずっと見て信じていたのだと思う。

いつか変わるだろと。


現実は人間は自分で変わりたいと思わなければ


変わらない。


肝に銘じておきましょう。

彼氏、彼女、友人、変えようとしても変わらない。
人は他の人にインスピレーションや助ける事はできるが変えることは出来ないと思う。


いい人を見つけるのではなく自分が自分の理想の
いい人になった方がええよ。


自分を自分で幸せにして
自分を磨いて
自分に生き甲斐をみつけて
自分を満たして


まず自分からだと私は思う。


人に幸せを求めるのは、いつかがっかりする。


お互いがもっている自分の幸せを分け合う事ができる関係がいいんじゃない。


自分の勝手な意見ですがな。


生きる事に正しいも間違いもないよ。


自分が納得できる人生でええかな。私はな。


母はこの波瀾万丈の人生を今ではめちゃくちゃネタにして笑っているが


強いなと思う。


少し強がりすぎな所もある。


幸せになってほしい。本当に。



最後に妹が生まれた時の話をするが、
私がトンガに移住した2年後に母は再婚した。
そのまた1年後に妹が生まれ、これが母の最後の出産となる。


10年以上旦那さんと暮らしていたが




また別れた😭



母、モアナちゃんは今はまたシングルなのです。



一億円ぐらい稼いで一生楽させてあげたいわ。


本当に。


モアナちゃんはね、やっぱりこういう人生を歩いてきたから、周りからはよく思われず、時にはこんな母親の子供達はろくなもんじゃないと、耳が腐るほど言われてきたが、本当に面白くて一生懸命に生きた人なんです。


今になって学んだ事も沢山あるだろうけど
過ぎた事に文句いってもリセットできないから
胸を張って生きてほしいです。


言わなくてトンガで胸を張っていきているモアナちゃんですがね。(笑)


母とは仲が本当に数年悪かったんだけどね、
私はモアナちゃんが自分の母でよかったと思う。



強がりすぎて素をみせない母


会いたいね〜。

一緒にコーヒー飲みながら夜中にずーっとお互いの生き方にいちゃもんつけながら語り合いたいね〜。(笑)


強き母。


人生いろいろだね。


みんなも家族は大切にね〜。





Much Love 


Yoko Cox 



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