食への敬意

私は、多分人一倍食へ払う敬意が高いと思っています。
具合が悪いとき以外は食べ物を残すことは基本的にできないですし、大皿で出されたときは後処理に回ることが多いです(体調や体型との維持に悩んでしまいます)。

また、料理人に対する尊敬の念が非常にあり、出された一品一品が作品のように感じられています。洗練された食は、もはや芸術といって良いと思っています。
前、料理人を「匠」と呼んでいる番組に対して、「所詮食い物ごときに」と言い放つ先輩がいましたが、その「所詮食い物ごとき」に生かされているのに…と思ったことはあります。

同じく、品質の良い作物をこだわって生産している方にも非常に関心があり、そういう方々を応援する取り組みに参画したりしています。

その食への敬意の背景は何だろうと考えたのですが、一つには両親からの教えで、食べ物を粗末にしてはいけないということがあるのかなと思いますが、それよりも、やっぱり私のなかで「食べることは生きること、そして人生に彩りを添えてくれる大切なこと」という思いがあるのではないかと思っています。

とても追い込まれて辛いときも、美味しいものを食べることで心が少し楽になったり、頑張ったご褒美に美味しいものを食べると次へのモチベーションに繋がったり。

忙しい時期は、食べることが唯一の楽しみになったりします。
人生であと何回食事が出来るのだろう、年齢が上がると、毎日3食ガッツリというわけには行かなくなるからなかなか悩ましいなと思います。

また、食をとおして他の人と繋がることもできます。
普通に会議室で話しているより、一緒に食事の場で語った方が仲良くなれますし、一緒のものを食することで何となく連帯感が生まれることもあるかもしれません。

なので、食というものは自分の人生の中で重きをおいているのですが、やっぱり「食べるために生きることは悲しい」とか、何となく食を楽しむというのは、他の娯楽よりも一段低いもの、人によっては卑しいものに置かれているなと思うこともあります。

これだけ食の芸術性が語られるようになっても、です。

やはり「食べることは生きること」だから大切、である一方で、生きることに必須のものだからこそ、他の五感を動かす芸術(例えば、視覚→美術鑑賞、聴覚→音楽鑑賞とか。これらも大好きですが。)とは違う次元で語られてしまうのかな…と思ったりもしています。

また、食を追求したい思いもあるのですが、どうしても自分の生命と一体である以上、やはり健康との問題も出てきます。
卑近な例で恐縮ですが、食べすぎると健康に良くなく、体型も意地が難しくなります。
その辺り、とても悩みの種でもあります。

ただ、これからも食に敬意を払って楽しい食事ライフを楽しんでいきたいなと思っています。

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