茹でガエルにはなりたくない、だけど…
皆さんは、「茹でガエル理論」というものを聞いたことがありますか?
wikipediaの項目からそのまま引用させていただきますと、
『2匹のカエルを用意し、一方は熱湯に入れ、もう一方は緩やかに昇温する冷水に入れる。すると、前者は直ちに飛び跳ね脱出・生存するのに対し、後者は水温の上昇を知覚できずに死亡する』
およそ人間は環境適応能力を持つがゆえに、漸次的な変化は万一それが致命的なものであっても、受け入れてしまう傾向が見られる。例えば業績悪化が危機的レベルに迫りつつあるにもかかわらず、低すぎる営業目標達成を祝す経営幹部や、敗色濃厚にもかかわらず、なお好戦的な軍上層部など。
とのことです。
最近、色々な例えで聞かれるようになってきました。
どうやらカエルの性質自体に対しての科学的根拠は少し怪しげなところもありますが、例えとして分かりやすいとは思います。
身近な例としては、せっかくやる気を持って生き生きと入社してきて、「あれを改革しよう」「こうしたら良いのではないか」と意気込んでいたのに、会社が全体的に前例踏襲な風土でいつの間にかそれに染まって、改革の「か」の字さえ忘れてしまったり。
もっと怖い例としては、社会全体で特定の属性に対して制限をかけ始める、そのくらいならまあ容認しても良いか、と思ったら、その一段上の制限をかけ始める。それもしぶしぶ受け入れていたら、だんだん制限の度合が強くなっていって、気付かぬうちに尊い生命が犠牲になる事態にまで陥ってしまう、などがありえます。
迫害する側は馴れきって、それが当たり前で当然のこと、と思い込み、迫害される側はそのときになってしまってはもはや身動きが取れなくなっている、という状況に陥ってしまいます。
突然平和な世の中に迫害がぶちこまれたら絶対に抵抗すると思いますが、少しずつ少しずつ、ゆっくりとよからぬ方向へ進んでいったとしたら…それは非常に恐ろしいことだと思います。
なので、茹でガエルにはならないようにしたいとは常々強く意識しているのですが、同時に、そう容易いことではないかも、とも思います。
茹でガエルは、まるで真綿で首を絞めるように、少しずつよくない方へ進んでいっても、なかなか浸かっている本人が気付かないからこそ、恐ろしさがありますが、お湯に浸かっている私本人はどのように危機に気付く術があるのだろう…と悩んでしまいます。
今すぐに私が思い付く対策としては、
①自分の信念を強く持ち、「これは違うのではないか」と少しでも違和感を持ったら些細な事象でも声をあげていく。
②内部組織(家庭、地元、会社、国、同業者組織、同世代、同性など)だけにとどまらず、定期的に外部と接触を持つ。実際に外に出掛けたり、外側の視点からの情報を得たり、本を読んだり。
③②の延長線上ですが、歴史を知る。過去に似たような事例がたくさんあるのでそこから学ぶ。
④日頃から、思ったことをすぐに実行に移せるように、行動力をつけておく。
くらいしかないかなと思いますが、常日頃から意識付けするだけでも違うかなとは感じます。
必要以上に警戒するのもそれはそれで別の弊害が出そうですが。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?