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コウペンちゃんがどうしても好きになれない
ツイッターのいわゆる病み垢には、フォロワー同士で今日のできたことを褒め合う文化があります。
このギスギスしたSNSの現状の中、とても素晴らしいことだと思います。ただ、
なんでもかんでも褒めちぎる風潮(?)が正直苦手です。
うつになると自己肯定感が落ちてしまいがちで、それによって「俺なんかどうせ…」「私なんて…」と自分を卑下し、自責の念に駆られてしまう。
だからこそ、
「お風呂に入れた」
「部屋の掃除ができた」
と、自分を認め、小さな成功体験を積んでいく。そのためにどんな些細なことでも褒めるようにする。
これはまだわかるんです。
だけど…
「散歩したの?えらすぎる!!」
「目が覚めただけで満点!」
・・・
幼稚園児じゃないんだから、、、
はっきり言うと、人をおちょくってるような気さえします。「すごいねー!えらいねー!」って…。どこがやねん、と。
自分で自分を褒める分にはいいと思う
「お風呂に入れた」
「部屋の掃除ができた」
これならわかる、と書きました。
褒める矛先を自分に向けているから。
一方で、
「散歩したの?えらすぎる!!」
「今日も生きててえらい!」
これについては
「散歩しただけででえらい?んなわけあるか! そんなんでえらなら、一億総偉人社会やないか!!」
「生きてるだけで偉いなら、じゃあ生きられなかった人はどうなる??」
と思うのです。
他人を褒めちぎることへの拭いきれない違和感
他人に褒められて、嫌な気になる人は少ないでしょう。だいたいの人は嬉しくなると思います。僕も基本嬉しいです。
とはいえ、冒頭の自己肯定感の低さから、褒められることに抵抗を感じる人はいます。
自分がされて嬉しいことは、イコール他人も同じように嬉しくなる、ということはないと思うのです。
なんというか、価値観の押し付けというか…
褒める相手が、褒められて嬉しいタイプと分かっていたら、別にいいと思います。
けど、"褒められて伸びないタイプ"も中にはいるはずです。
だから、「自分で自分を褒める分ならいい」と書いたのです。
「コウペンちゃんのように、どんなことでも何か見つけてベタ褒めしたら、相手はきっと喜ぶだろう」という言わば決めつけた主観のもとで、ツイッターでのやり取りがされてるんじゃないかな、
「ありがとー!」って言ってるけど、そんな褒められ方で本当に嬉しいのかな、
と、大変勝手で失礼ながら気になっています。
こんなことを書くと、僕を褒めてくれる人はいなくるんだろうなぁ…
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