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上月城(こうづきじょう)落城と山中鹿介(しかのすけ) (その1 全5回)

ポンと昔。『願わくば我に七難八苦しちなんはちくを与えたまえ』と山中幸盛ゆきもりは三日月に祈ったと言うよ。

『困難なことがなければおのれ器量きりょうを知ることができない。日ごろから有事ゆうじの心構えを試しておきたいのだ』

「困ったことがなくちゃあ、自分の力が試せないよ。どんな事件が起きてもあわてないようにしておきたいのさ」山中幸盛はね体が大きくてね堂々としてたって。かぶとの額に六尺というから180cmもの鹿角しかづのをさしていたんだって。だからね、山中鹿介ってみんな呼んでいたってさ。

鹿介は1545年生まれだったというからね織田信長より11歳下で秀吉からは8歳下の人さ。出雲の戦国大名尼子氏の重臣だったよ。周防の国の毛利軍と何度も戦いをしていったんだ。そしてとうとう尼子氏軍は負けてしまったのさ。月山富田城がっさんとだじょうを奪われてしまった。でもね、鹿介は諦めなかったんだ。もう一度尼子氏を立て直したかったんだよ。鹿介は山伏やまぶしに変装してね、あちこち見つけ歩いてやっと尼子氏の血筋のある尼子勝久かつひさを見つけ出したんだ。そうしてね、もう一度尼子氏を立て直そうと毛利軍へと戦いを挑んで行ったんだよ。

今日はここまで、読んでくれてありがとう!今回のお話は少し長いよ。頑張って読んで行こうね!お休み、ポン!

#日本史 #戦国時代 #山中幸盛

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