歌人 平忠度(たいらのただのり)と右腕(その1 全3回)
行き暮れて 木の下陰を 宿とせば
花やこよひの 主ならまし 忠度
今日はね、この歌を詠んだ平忠度のお話だよ。忠度は戦いなんかしたくはなかたっんだ。お花や雪を見てロマンチックに歌を詠んでいたかったんだよ。
ポンと昔。源氏に追われた平家たちは京都から兵庫へと逃げて行ったんだ。平家たちはもう一度都の京都を奪い返してやるぞと兵庫の福原に集って東の生田の森と、西の一之谷に砦を築いていたんだよ。そうして源氏をやっつけてまた京都へ上って行くつもりだったのさ。神戸のあたりだね。
1185年2月7日、戦いは始まったんだ。
東の生田の森へは源義経のお兄さんの源範頼たちが攻めていったよ。義経たちは弁慶たちと山の手の鵯越をかけ下って一之谷へと攻めていったんだ。平家たちは大混乱さ。攻めてくるはずのない崖っぷちの鵯越から義経たち源氏がふってきたのだからね。そこここから火の手が上がっていく。義経たちは火をかけていったんだ。馬のいななきに怒鳴りあう声、うめき声。兵たちは東の範頼を助けに行く者、怯えて逃げて行く者、源氏にあたって行く者入り乱れていたよ。
平家の薩摩守忠度は西側への一之谷を守るリーダーだったよ。けど、早くも山手は破られたと聞いたよ。燃え盛る炎と義経たちの矢に追われて西へと逃げて行っていたんだ。忠度の周りには家来たちがぐるり守っていてくれたんだよ。そこへ、悪いことに源氏の岡部六弥太忠澄が近づいてきた。
「西をさして行く御仁は敵かお見方か名乗りたまえ」
今日はここまで、読んでくれてありがとう!忠度はどうなってしまうのだろうね?お休み、ポン!
#日本史 #平安時代 #平忠度
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