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悪源太義平(あくげんたよしひら)の最後の一矢(その1 全6回)

今日はね、源頼朝や義経の一番上のお兄さん義平のお話だよ。
ポンと昔。1160年の事だよ。
平家のリーダーは平清盛で、源氏は源義朝だったよ。平家と源氏との戦いでは源氏が敗けてしまって、義朝たちは京都から東へ、東へと逃げ落ちていったんだよ。
尾張おわりの宿でお父さんの義朝と分かれた悪源太義平は、越前まで来た所だったよ。
「なに、父上が尾張で打たれたとな。英気を養って再び清盛を必ず打つぞと言っていた父上だったのに。弟の朝長ともながも死んだ。頼朝ははぐれたままだ。ならば、一人とて、都へ立ち返り、清盛の首をねらうにしかず」

悪源太義平は義朝の長男だったよ。
悪源太ってね、とっても元気のいいとか腕っぷしの強いっという意味があって悪源太義平って呼ばれていたんだ。
二十歳はたちの若者さ。勇気があって武勇にすぐれていたんだ。そうさ。この義平の弟に源頼朝がいるのさ。鎌倉幕府を開いた人だね。そうして一番末っ子9番目の弟が義経ってわけさ。
義平は一人、京都へと戻って行ったんだ。京都には平和が戻ってきていた。争いの後はきれいになくなっていた。沢山のお店が並んで大勢の人たちが行き来してにぎやかだった。六波羅ろくはらには大きな屋敷が次々と建てられていたよ。

今日はここまで、読んでくれてありがとう!続きは明日のお楽しみ!お休み、ポン!

#日本史 #平安時代 #源義平

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