和同開珎(わどうかいちん)っていくら? その1(全2回)


 
ポンと昔。 

初めてお金が作られた時のお話だよ。お金がまだ作られていなかった大昔には、物々交換といってね。品物を持ち寄っては、それを取り換えっこしていたんだよ。漁師さんたちはお魚や貝を採ってくる。農家の人たちは野菜や木の実を持ってくる。それで取り換えっこしあっていたんだね。 
 
今から1300年も前のこと。708年(和銅元年)の時、初めて和同開珎(わどうかいちん)って呼ばれる銅でできたお金が作られたんだって。なんでお金を作ったかって、それにはいろいろ訳ありだったんだ。 
 
この時代701年に大宝律令(たいほうりつりょう)といって、文武天皇(もんむてんのう)とか藤原不比等(ふじわらのふひと)という人たちが日本中に法律を作ったよ、と発表したんだ。悪いことをしたら罰があるよ、とか、一人一人に家が決められて、そこから取れたお米をお役人に持ってきなさいとか、そんなことを決めたんだ。お米を一生懸命作ったって、ほとんどお役人に持っていかれちゃう。自分の食べるお米はなかった。だから皆な馬鹿らしくて田んぼをほっぽらかして、お米を作らなくなっちゃった。そういう人たちがたくさんいたんだ。だから、お金の代わりだったお米が集まるはずだったのに、集まらなかったんだ。でね、ちょうどその時に何でか理由はわからないんだけど、都を京都か
ら奈良へ移すことになったんだ。
710年には奈良に都ができるからね。奈良に都を作るためには、たくさんの人たちの力が必要だった。道を作ったり、建物をたくさん建てたりするからね。天皇は村人たちに都を奈良に移すから手伝いにきなさいと言ったんだ。だけれど、手伝いに来た村人たちに何も渡せるものがなかった。お米を渡してあげたかったけれど、皆がお米を作ず逃げてしまったから、お米が足りなかったんだね。そこで考えついたのがお金だった。この小さな銅でできたお金っていうのがあれば、お米と取り換えっこできるよ、とそういうことにした。そしたら、そのお金が欲しいから、奈良の都造りに手伝いにくる人たちもでてきたんだ。ちょうどその頃、運の良いことに武蔵野国で銅がたくさん取れる山が見つかった。

今日はここまで、また明日。ポン!

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