本多正純(ほんだまさずみ)と宇都宮城の吊天井(つりてんじょう)その2(全3回)

 昨日の続きだよ、ポン!

本多正純(ほんだまさずみ)の話し、もう一つはね、これまた酷いんだよ。ずるいんだよね。

正純はこの時今の栃木県の下野の国(しもつけのくに)小山(おやま)にあるお城の3万2千石の城主だったんだけど、宇都宮城の城主は豊臣秀吉(とよとみひでよし)の味方の者だったからね。家康が関ヶ原や大阪での戦いで勝ったから追い出しちゃった。その後に秀忠のお姉ちゃん、家康の長女の加納御前(かのうごぜん)の息子の奥平家昌(おくだいらいえまさ)がお殿様になるわけだったんだけど、急に死んでしまったから、その息子の忠昌(ただまさ)7歳がお殿様になったんだよ。加納御前の孫ちゃんってわけだけね。15万5千石というから、相当大きなお城なんだね。おばあちゃんの加納御前もたくさんの家来たちも、ちびちゃんの忠正を助けて、良いお殿様になってもらおうと思っていたのに、ところがね、「家康殿の遺言でござる。忠昌殿はまだおチビゆえ古河(こが)にある小さなお城に行きなされ。それがしが、ここのお殿様になるから。」って正純が言ったんだよ。皆びっくりだった。加納御前だって「こんな田舎のお城のことまで遺言で言うわけないでしょ。正純のでたらめでしょ。」って怒ったんだけれど、だけど誰も正純に何にも言えなかっただよ。そりゃあ加納御前や忠正のまわりの人たちも兄弟たちも皆カンカンに怒っていたけれど、正純は強引だから、どうす
ることもできなかったんだよ。 
 
正純は忠昌たちを追い出して、ちゃっかり宇都宮城の城主になっちゃった。そんで、日光山(にっこうさん)に家康のお墓を作ったりお城のリフォームとかしていたんだよ。そりゃあ加納御前たちや兄弟たち、その家来たち皆面白くないよね。そんなこんなで正純は皆から嫌われていったの。加納御前はいつにか正純を追い出したいと、そのチャンスを見つけていたんだよ。それがやってきた。 

今日はここまで、ポン!

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