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土方歳三と石田散薬(その2 全3回)

牛額うしのひたい草一貫目、日それ乾燥すれば百目に減量。しこうしてこれを黒焼きせるもの。鉄鍋に入れ清酒一合をささらにて適時散布、取り出し再び乾燥せし。やげんにかけ粉末とせるを百包に分すること』
(牛額草を刈り取って、目方が10分の1になるほどに天日で乾燥させる。これを黒焼きにしてから、鉄鍋に入れてささらを使って日本酒を振りかける。これをまた乾燥させて、やげんにかけて粉末にして分包する)
『牛額草』てね、湿気の多い水辺に生える1年草で、草丈は30から70センチ。8から10月には紅色の貝状の花を咲かせるんだ。葉っぱはさきっちょがとんがっていて、真ん中がくびれている。葉っぱの形が牛の額に似ているんで『牛額草』というんだって。
薬用成分の含まれている葉っぱの若葉は、おひたし、テンプラ、味噌和えなんかにして食べることもできるんだって。
それ以来土方家では牛額草売り続けていたんだ。
若い頃の土方歳三はこの薬を詰めたつづらを背負って、近くの村や、遠くの総州そうしゅう、甲州まで売り歩いていたというよ。
それはおき薬方式で、お得意さんの薬屋や荒物屋、雑貨屋なんかを回ってはこの『石田散薬』を卸していったんだ。
歳三はね、剣には自信があったから、この薬売りの行商の途中で、道場を見つけるとね、門を叩いては他流試合を申し込んでいたんだって。
試合の後は、しっかり、その道場に『石田散薬』を置かせてもらっていたというよ。素晴らしい営業マンでもあったんだね。道場では打ち身や捻挫はしょっちゅうあったろうから喜ばれてもいたよね。

今日はここまで、読んでくれてありがとう!いよいよ明日は最終回!お休み!ポン!

#日本史 #幕末 #新選組

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