見出し画像

苧引形兜(おびきがたかぶと)城(その1 全3回)

長岡城は別名『苧引形兜城』とも言われているんだ。この由来を見てみたよ。
ポンと昔。
今から400年くらい前のこと。
新潟県長岡市のあたりは越後藩主えちごはんしゅの堀氏が治めていたんだ。
最初は山の上にあった蔵王城に堀一族は住んでいた。
けれど、近くを流れる信濃川しなのがわがしょっちゅ氾濫はんらんをおこしてばかりいた。
「こんなに川が暴れるのでは修理代がかさなんでたまらぬわ。いっそのこと下に降りて新しい城を作ることにしよう」
慶長けいちょう三年1598年のこと。
越後藩の当主だった堀直寄ほりなおよりは新しくお城を建てる場所へと来ていたんだ。そこは今のJR長岡駅のある所だったよ。この時代は敵が攻めにくいようにと山の上にお城を作っていくことが多かった。だけれど直寄は平地に作ることにしたんだ。近くに大きな信濃川があるから船を使って産業を盛んにすることができると考えたんだね。直寄はここに大きな城下町を作りたかったんだ。
そこはゆっくりと起伏きふくのある広い広い所だったよ。ずっと遠くまで雪で銀色に光っていたよ。直寄はどのようにお城を建てたらいいかと何日も何日も歩きながら考えていた。

今日はここまで、読んでくれてありがとう!続きは明日のお楽しみ!お休み、ポン!

#日本史 #戦国時代 #堀直寄 #長岡城

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?