熊谷直実と権田栗毛(その2 全3回)

直実は宇治川の合戦の時のことを思いだしていたよ。
 
「あれは、1月20日の暁闇あかつきやみとなった時だ(暁闇とはね、月が隠れて、朝日の出てくる前のちょっとの間の暗闇のことをいうんだよ)。宇治川を挟んで、北側には木曽義仲軍、南側には頼朝様から命令されてきている鎌倉軍が向かい合っていた。
『くるぞ、くるぞ』
『ぬかるな、くるぞ』
両軍とも矢じりをそろえて朝もやの切れるのを待っていた。
朝もやがゆっくりと消えていった。両軍から一斉に矢がはなたれた。馬に乗って川を渡っていこうとしていた者が矢にあたり馬の首にしがみつきながら冬の冷たい水の中へと流れていった者。矢をうまくかわしたものの、馬の足がらんぐいにとられて水の中へと倒れていく馬もあった(乱ぐいとはね、川の底のあちこちに打ち込まれたくいのことをいうんだよ)。
馬と人との命はいっしょだった。
義経様は言った。
『ひるむな。兜を傾けよ、鎧の袖を立てて矢を防ぐのだ。馬を寄せ合え。強い馬を上流に立て、弱い馬を下流に並べよ。馬の足とどかずば、たづなをゆるめて泳がせよ。 水に力を傾け、馬体ばたいは軽く身をかけよ。水にさからうな。流れに乗って流れ、わたりにわたれ』
義経達のグループは一つの黒い集団となって渡っていったんだ。
かずさのすけはいそ、
ちばのすけはうすざくら、
平山はめかずけ、
しぶやはししまる、
畠山は鬼栗毛、
わだはかものうわげ、
北条ほうじょうはあらいそ、
わしは権田栗毛おまえだった。
みな自慢じまん駿馬しゅんめに乗っていた。
お前は大きな馬だったから、流れの強くあたる上流側に立っていった。冷たい水が首まできていたのにな。急にわしを振り落とそうとした、そこへヒョウッと矢が耳をかすめていった。あやうく、矢の餌食になっておったところじゃった。どうどうと渡っていってくれた。向こう岸へと渡り切ったらすぐに冷たい水を飛び散らして後白河法皇の元へと走っていった。そうだ。権田栗毛よ。この足では戦いは無理じゃ。お前の生まれた権田村に帰って余生を過ごすが良い。ここにいては危ない。さ、これはわしのほろじゃ。武蔵国の者によろしゅうな」
 
今日はここまで!読んでくれてありがとう!いよいよ明日は最終回!!お休み、ポン!
 
#日本史 #平安時代 #熊谷直実

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