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ゴールデンウイーク、少しあいみょん

ゴールデンウイークの総武線に乗っている。ひとり子どもが泣きはじめて、つられてもうひとり泣きはじめて、赤ちゃんが笑っている。おばあちゃんが世相を斬っている。おばあちゃんはバンクシーの絵を見に行ったらしい。かわいらしかったそうです。

きょうは大学のサークルの先輩がはじめたアイスクリームやさんに行く。白井市の根。白井市の、根にあるらしい。根とは? とにかくタピオカがあるという噂だ。
(追記:行ってきました。おいしかったです。トップの画像はそこで食べたパンケーキです)

あいみょんの「愛を伝えたいだとか」という曲を聴いている。
愛してると言われたい、自分から愛してると言うために準備をしてみたけどなんかだらーっとしちゃって結局言わねえんだろうな、なんなら準備ももうするのやめましたけど、みたいな曲で、そのだめさがよい。

自分がだめだと自覚しているだめ人間のことが結構好きだ。だめだけど改善しないとか、改善しようと思ってるけど実際はしないとか、ちょっと改善してみたけどだめだったからもういいかってなったりとか、そういうのってとても人間らしく感じる。

日々の積み重ねができる人を本当に尊敬していて、たとえば毎日英語の勉強を何ページやるとか決めてやっている人ってとてもすごいと思う。なんでそんなに自分を律することができるんだ。
すごいと思うが、わたしはやっぱりだめな人の方に惹かれてしまう節がある。友人もたいていなにかしらだめな人であることが多い。愛せるだめさだ。だめさは愛せる。だめさはうまく使いこなせば非常にキュートだ。だめであってもいいのだ。だめな自分を下げるのはちょっとかわいい行為であるかもしれないが、過剰に卑下することはないんだよ。卑下することはない。これは過去の自分にも伝えたい。たぶん聞かないと思う。過去のわたしには人の意見を受け入れないことが美徳みたいなところがあったしたぶんいまもまあまあある。

「愛を伝えたいだとか」でいいなあと思うだめポイントは、
-まじで僕に愛される気あるの?
という開き直りで、たぶんほんとうに試したり質問したりしているわけではなくて、ないない、と言われないことを知っているから言ってみたりするわけで、いやたぶん実際には言ってなくて、そういうことなんだよ〜〜〜(急に高まった感情)。

その、そういうことなんだよ〜〜が恋とか愛なんだと思うんだが、いまいち形にならない。いまいち形にならない感情が多いことはどんどん掘り下げて考えてゆけるということでもあってそこまで悪いことではないが、もっと形になってくれてもいいのになあと思う。いや、形になってくれよと言っているのではなく、形にするための努力をしなきゃならないんだが、どうもね〜〜形にならないよってことをそのまま出力して満足しちゃうよね〜。

こういうところがわたしのだめさである。

全く関係ないのだが、この間、腑に落ちるということを「腹落ち」というのだと知った。
ときどき使っている人を見るたびになんかものすごくエロいことを言われているような気がして動揺していたのだが、エロくはないらしい。安心しました。

ものを書くために使います。がんばって書くためにからあげを食べたりするのにも使うかもしれません。