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ネットの言説はすべて高校生が書いていると思うことにした

今日は新しいネットリテラシーの形を提案してみたい。

ネットのあらゆる言説は高校生が書いていると思うことにしようという提案だ。すると今まで一喜一憂していたことがなんだそんなことかと思えるようになり大人の振る舞いができる。

例えば先日24時間テレビの投稿でにぎわっていた。「まったく感動しないんだよな」「やらない善よりやる偽善」「こんな時期にやることではない」「当事者たちは嬉しい」いつも通りコンテンツそっちのけの空中戦、場外乱闘でため息が出るが、残念ながら私の中でも同じような言葉が思いつく。

そこで先ほど提案した高校生フィルターをかけてみる。
高校生「まったく感動しないんだよな」
(まあ大人ぶりたい時期もあるよなわかるよ)
高校生「やらない善よりやる偽善」
(どっちでもいいけど行動したんならえらいよな)
高校生「こんな時期にやることではない」
(大人の事情があるんちゃう?知らんけど)
高校生「当事者たちは嬉しい」
(まあ確かにな。良いこと言うやん)
見事に心の平穏が訪れた。

上記のようにこのフィルターはポジティブな言説、ネガティブな言説どちらに対しても効果的である。ポジティブに対しては高校球児の奮闘ぶりを見るかのように応援のまなざしを向け、ネガティブに対しては未成年ゆえの失敗を見るかのように生暖かく見守れる。

フィルターの効用はこれだけではない。情報を鵜呑みにしなくなるのだ。
高校生「コロナにはぬるいお湯が効くらしい」
(まあ嘘やろうけど様子見するか)
高校生「コロナは中国のバイオテロ」
(可能性としてはあるやろうけど。断定は難しいよな)
さらに専門家の意見でもこうなる
高校生「コロナの後遺症を指摘する論文が出てきている」
(そうなんか。まあ一応ソース確認してみるか)
このようにあらゆる情報に対して、言っても高校生の言葉だからなと慎重になれるのだ。

しかしこのフィルターには問題点も指摘されている。こういったケースだ。
高校生(専門家)「コロナワクチンの開発が進んできている」
自分「(高校生にしては)すごく物知りで偉いですね」
フィルターを通して思いついた言葉は頭の中だけに留めておくことをお勧めする。

ネットの言説も書き手を離れれば0と1の羅列でしかない。実名性が担保されない限り目の前の言葉を書いたのはAIかもしれないしルワンダ人かもしれないし本当に高校生かもしれない。その記号に意味を与えているのは結局読み手自身なのだから好きに解釈すればいいのだ。もちろん私の言葉も含めて。

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