--vol.1 将来を全く考えていなかった学生時代--
フリーターの僕が映画監督になるまで vol.1
一つ後悔があるとするならば、学生時代に映画と出会えていれば、映画のことを今よりもっと知ることができたのかもしれません。
ただ、学生時代に映画と出会っていたとしても、今の立場にいることができているのかはわかりません。
高校生の僕は、将来のことについて嘘偽りなく1ミリも考えていませんでした。ミュージックビデオで有名なディレクターの山田智和さんは、中学時代からビデオカメラで友達や卒業式などを撮っていて、「映像の仕事をしたい」と思っていたそうです。
凄すぎるわ。
思えば、僕はずっと人生の大きな「選択」を放棄していました。
中学は地元でそのまま入学だし、強制で入らなければいけない部活は友達に誘われなんとなく入ってしまったし、高校を選ぶときも、近いからというただそれだけの理由で、中学校からも目と鼻の先、家から自転車で10分の地元にある高校に行きました。
高校の部活も、悩みましたが中学と同じ部活に友達や生徒指導の先生に誘われ入る始末。自分の意思は実は少しあるんだけど、周りに流されて楽な方を進むといった学生時代でした。
(中学ではバレーボールをやっていたのですが、あまりいい思い出がなく、高校では得意でもあったサッカー部に入ろうと密かに思っていました)
高校で進路を決めるときも「なんで18歳からやることを決められるの?マジ意味不明・・」と思っていました。
友達に誘われ専門学校のオープンキャンパスなどにも行ったりしました
(服部調理専門学校の体験授業で生春巻き作ったなぁ・・・・)
結局ギリギリまで決められず、小学校、中学校、高校と同じ友達と一緒に、Fランク大学に行きました。
自分に何の意思もないのに、高校も大学も推薦でした。
レベルが低すぎるので、何の自慢にもなりませんが。
むしろ、受験勉強を一切やったことがないので、忍耐力や計算などの能力が頭から薄れていくのでした。勉強をとことんやる経験がなかったのも、今じゃ後悔があります。
高校の授業もほとんど寝てました。むしろもう、"いかに寝てやるか"ってぐらい。ノートにペンを立てた状態で寝られる体勢とかを考えてましたね。
---何も考えていなかった中で自然と培っていったこと---
そんな学生時代にも、今思えば生かされていることがあるとするならば、
「経験」と「行動力」でしょうか。
何も考えていなかったけれど、出来事は沢山ありました。
高校1年生のときは、本当に素晴らしいクラスメイトに恵まれました。毎日笑っていました。本当に沢山、死ぬほど笑っていて、高校生ながら"幸せかも"って思った記憶が強くあります。クラスにサッカー部がほとんどいないのにもかかわらず、全学年で競う球技大会のサッカーの部で準優勝したときはすごく嬉しかった。みんなで抱き合って喜びました。
念願の中型バイクの免許を高校2年生の時にとりました。ヤンキー漫画「特攻の拓」にずっと憧れていて、原付から400ccのSRに乗っていました。高校生でフルローン生活でした。マフラーを安いのにしてしまい、めちゃくちゃうるさいバイクでした。
バイトをやっていました。個人の居酒屋バイトと、某焼肉屋で。部活もやりながら月に8万円ぐらい稼いでたのかな。月40,000円がローンで消えていきました。実は一番最初にCoCo壱を受けたんですが、面接で「テスト期間はシフトが減るかもしれません」と言ったとき、「それってお客さんに関係ないよね?「そんな理由はこのお金を稼ぐ社会に置いて通用しないんだよ」と言われて落ちたのを覚えています。後にも先にも、面接で落ちた経験はこのCoCo壱だけでした。
彼女になってくれる方もいましたし、あることで謹慎処分にもなりましたし、当時仲間内で流行っていた(最低なんですけど)万引きでGメンの方につかまりましたし、またまたあることで運悪く警察のお世話になり、高校生のときに指紋のデータも取られています。
(詐欺や、人を傷つけたりとか、そういった事件ではないです)
と、BAD HOPさんからしてみると◯◯◯に毛が生えたようなお話です。
話は大分脱線しましたが、もし仮に、この学生生活の何かが今に繋がっているとするならば、このエピソードに他なりません。
当時、まだ深夜にエロティックな企画をするテレビが僅かに残っていた時代でした。
僕は、夜な夜なチャンネルを探しているときに、ある一つの番組に辿り着きました。
「シネ・ラ・バンバ」という、マイナーな映画の紹介をするテレビ東京、木曜日深夜2時頃にやっていた番組です。
はじめてその番組で見た映画は、行定勲監督の「贅沢な骨」でした。フィルムで撮られ、非常に淡い表現でつくられたその作品は、つぐみさんという女優さんの裸体が湿ったフィルムの空気感に溶け込んでいて、非常に魅力的でした。夢の世界というかなんというか。鮮明に覚えていますね。
それから、つぐみさんで言うと「月光の囁き」もすごく印象に残っています。高校生の恋愛があることをきっかけに変態な表現に変わっていくのです。
今だから冷静な目線で映画を見ることができるけど、当時の僕はエロの目線でした観ていませんでした。
しかしそんな中で一つ、今でも僕の映画の中でベストランキングに入る作品と出会えました。「青と白で水色」と言う映画です。
脚本の登竜門のコンペで、優秀賞を撮った作品で、若かりし頃の宮崎あおいさん、小栗旬さんが出演する青春群像劇です。
わぁ。青春群像劇ということで、「青と白と水色」と「雨とひかり」が繋がっているということ…?だとしたら奇跡ですね。
自殺願望がある宮崎あおいさんが、学校の開かない屋上の扉をなんとか拙い技術を使って開けようとするシーンそれだけに影響されて、僕も自分の学校の開かない屋上の扉を、針金を使って毎日毎日開けようとしていました。結果、開かなかったんですけどね。開かなかったのに、楽しかったなぁ、ドキドキしてたなぁ。そんな思い出です。
それまでとは反対に、最後の高校3年生はクラスメンバーと大分合わず、苦い思い出があります。自分があまり関わってこなかったジャンルの同級生が多く、仲は悪くないんですが、タイミングが悪いと1人になったりすることが多く、3年生の記憶はほとんどありません。あるとすれば、うちの高校には頭髪検査があり、僕はいつもひっかかってました。高校最後の頭髪検査。生徒指導の先生から「最後ぐらい一発で受かってみろよ」と言われ、友達にゲーセンの駐車場で坊主にしてもらい、最後の頭髪検査に一髪で受かってやりました。
そんな、高校生時代でした。
こんな話をすると「贅沢な骨」「月光の囁き」「青と白で水色」の三作品にその年で出会ったのはある意味いい映画教育を受けていると言ってくれる人がいます。あの時は本当にエロス思考と、屋上を開けるという閉鎖的な学校生活からの開放される雰囲気に憧れていただけなんですが(笑)
次回はvol.2です。高校卒業後してからの飲食店店長時代について書きます。
よろしくお願いいたします。