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ランボーの詩「そゞろあるき」―遠くわれは歩まん

永井荷風による「そゞろあるき」は、ランボーの詩の日本最初の翻訳だそうだ(西原76)。

1950年代の終わりから2000年代の初めまで、高校の国語の教科書に掲載されてきた。今はもう載ってないだろうな。

■ランボー「そゞろあるき」(永井荷風訳)

あおき夏の
麦の野草のぐさをふみて
小みちを行かば
心はゆめみ、わが足さはやかに
わがあらはなるひたい
吹く風にゆあみすべし。

われ語らず、われ思わず、
われたゞ限りなき愛
魂の底にわきいずるをおぼゆべし。
宿なき人のごと
いや遠くわれは歩まん。
恋人と行くごとく心うれしく
「自然」と共にわれは歩まん。

■語句

題名:そゞろあるき――原題は、"sensation(サンサシオン)"で、「感覚」という意味。「そゞろあるき」は訳者永井荷風によるもの。「感覚」ではあまりに抽象的だと考えたか。

あおき夏の夜や――「蒼き」となっているのは、完全には暮れきっていない夏の夜を表すためだろう。「や」は語調を整える間投助詞。軽い感動の意を添えつつ、「蒼き夏の夜」を続く語に結びつける。

小みちを行かば――「行かば」は仮定。「もし~なら」

ゆあみ――湯浴み。湯を浴びること。

浴みすべし――「べし」は推量の助動詞。「~に違いない、~だろう」

おぼゆ――感じる

いや遠く――ますます遠く

歩まん――「ん(=む)」は主語の意志。「~しよう、~するつもりだ」

「自然」――カギ括弧がついている。抽象語をカッコでくくるのは上田敏にならったものではあるが、ここでは特に、原詩の「自然」が"Nature"と頭文字が大文字で強調されているため。

■解釈

まだ完全には暮れきっていない夏の夜に、外に出て田園の小道を歩いていく自分を空想している。

足取り軽く、額に暖かな風を受けて、夢見がちに歩いていく自分。何も語らず、何も思わず、そうして歩いていると、「限りなき愛」が自分の内部に満ちてくる。恋人と歩くようにうきうきと、どこまでも歩いていこう。自分が「自然」という大いなるものに包まれているのを感じるだろう。

そういう詩だ。

夏の夜の高揚する「感覚」を表現している。自分が自由へと開かれていることを感じ、その感覚に従って、広い世界へと出ていくことへの強い願望が見て取れる。

■おわりに

なんということもない詩だ。穏やかで、ランボーらしい反逆性がまったく出ていない。だからこそ、この詩が教科書に取り上げられたのだろう。有名な「永遠」のような詩じゃあ、教師も困るだろうし。

とはいえ、雰囲気は出ている。思春期の若者が感じる、理由もなく高鳴るような胸の内をしっかり表現している。

あるある、こんな「感覚」に襲われることって――そんな感じ。
(あるいは、「あった、あった、こんな感じ」だろうか。)

1870年、ランボーが15歳のときに書いたものだ。夏ではなく、3月だ。

この年の8月終わり、ランボーは最初の家出を決行する。

■参考文献

伊藤信吉・伊藤整・井上靖・山本健吉編『日本の詩歌28 訳詩集』中公文庫、1985 [1976]

永井荷風訳『珊瑚集』岩波文庫、2010

西原大輔『日本名詩選1』笠間書院、2017 [2015]

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