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命がけで海外に渡った人たち⑥ 4年かけてチベットに到達した僧侶、河口慧海

目標を持って日々を過ごせとよく言われますが、なかなかできないことです。

語学や読書、運動。私は三日坊主になってしまうことが多い。ああ、坊主なんて失礼な言い方はいけないな。

3日どころか4年かけて慎重に準備を進め、念願を叶えた僧侶、お坊様がいらっしゃいます。

それが河口慧海と言う人です。

以前から気になっていた人です。最近ようやくエイヤッと本を読んでみた。



いやあおもしろい。無鉄砲、徒手空拳で自分の思った道をひたすら目指す。なかなかできないことです。

河口慧海(かわぐち えかい、1866年2月26日 - 1945年2月24日)は、日本の黄檗僧、仏教学者、探検家です。彼は日本人として初めてチベットへの入国を果たしました。その旅はさまざまな困難を伴いました。

いま講談社学術文庫で読める「チベット旅行記」にその旅程が書かれています。

日本を発ったのは、1897(明治30)年6月25日。神戸港からでした。友人知人は「死にに行くようなものだ」と引き留めましたが、「仏法修行のため死ぬほどめでたいことはない」とどこ吹く風という、自然な旅立ちだったようです。

その後シンガポールを経由してインドのコルカタに到着しました。チベット語を1年かけて習得し、山越えに必要な物資を調達して、ネパールを目指します。

彼は歩いて(時には馬にも乗って)ネパールを経由して山を越え、チベットの首都ラサに向かいました。1901年(明治34年)3月に遂にラサに到達し、現地の大学で仏教を学びます。実に4年が過ぎていました。


慧海の旅 約4年
飛行機 東京ーラサ 乗り換え1回 約20時間

チベット入りの障害は、寒さと厳しい地形でした。

ヒマラヤ山脈を越える道は過酷で、寒冷な気候と険しい山々に直面しました。あやうく凍死しかかったことも書かれています。

また盗賊と野生動物も待っていました。ピチャゴリという村では、動物の奇怪な鳴き声を耳にします。

「あれは、肉を食べたトラが川に水を呑みに来て唸っているところだ」と聞かされます。この時代のトラは、人間を含め百獣の王です。偶然出くわしていれば万事休す。肉として食べられていたに違いありません。泥棒にも遭いかけました。

インドからチベットを目指したのですが、チベットは当時厳重な鎖国状態であり、国境を越えるためには慎重な計画と調査が必要でした。

彼はこれらの困難を乗り越え、チベットで仏教の原典を研究しました。約6年後に帰国し、多くの著作を残しました。

平和主義者だったようです。

1922年にこう書き残しています。

又願クバ世界各国ノ人々ヲシテ、常二戦争ナカラシメン。世界ノ最小国二至ルマデ掠奪
ヲ蒙ムルノ憂ナクシテ、安穏二過サシメン。願クバ世界各国ノ衆生ヲシテ、本来無碍ノ平
和裡二帰入セシメテ、以テ此濁悪世界ヲシテ絶対平和ノ表現ナル常 寂光浄土トナラシメ
ンコトヲ。

チベット旅行記 下 497ページ

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